2006年06月

雨の日の訪ね人



  私は久しぶりに人と話をした気がした。

  外は雨で、ジーンズのすそは濡れていたが、たくさん歩いて、たくさん話した。

 あの人のことも、この人のことも。

 今のことも、いつかのことも。

 私は、言葉を失っていたけれども、

 少しばかり、話しが通じるように思えた。


 
 いつもよりにぎやかい部屋に夜の風が吹いて、
 
 色々な音楽と色々な書物があちこちから飛び出して、

 キャッチボールはつなげられた。

 



 質問してくれてありがとう。

 私は誰かと“話し”をした後に、いつもこう思う。(私は質問がへたくそなので、ボールをうまくはずませられない。)


 はずんだボールは、胸の振り子をつついて、愛らしい音を鳴らして

 ころがっていった。

 


 こうして私はまたひとりボールをつく。

 遥かなる足音に耳をすませ、待ち遠しい梅雨の夜。

 summer steps、近づいておいで。

 

  

誰も知らない自分を生きる

来週の算数の研究授業に向けて、今日は金曜日だけど、遅くまで2人の先生と仕事をしていた。

 ああでもない、こうでもないと授業を考えるのは、結構楽しいことです。

 ちょっとずつ、ほんのちょっとずつだけど、ゆとりがでてきたようにも感じるね。「まだまだ」、丹後弁で言えば、「まんだ、まんだ」の毎日だけど。

 「まあ、藤原さんが、明るいのが救いやね。」

 うん、そうかもしれん。毎日、ちゃんと笑えるし、笑い飛ばせるし、ふてぶてしくて落ち込まないし、したたかで、意外と大丈夫な私。負けず嫌いでふんばらんとやってけんからな。

 だって、妖怪屋敷みたい。猛獣の檻みたい。ナイフのような言葉が飛んでくる。弱い、弱い子ども達が、自分を守ろうと、必死で投げてくる。不器用に、叫んでいる。

 


 今日は、全身ぐ~んとなった。



 辛かったね。いっぱいかかえこんでいたんだね。その小さな身体に。

 髪の毛の抜け落ちた頭皮が痛々しかった。

 来週はお父さんが出て行くって。

 私の前で見せる異常な行動の訳がやっとわかった。

 ようPが言う、「子どもは毎日家から妖怪を連れて学校にやってくる。」という言葉の意味がわかった。

 今度、学校にきたら、私は君をもっと抱きしめるから。もっと笑うよ。もっと、もっと君を笑わせよう。

 それでも生きなきゃいけないから。誰も知らない小さな世界で、生きていかなきゃならないから。

 




 妖怪がうずまいている。

 私は、広い世界を見たいけれども、

 小さな世界の果てしない苦しみや悲しみを目の前にして、やっぱりここにとどまろうと思うのかもしれない。



 そういうものかもしれない。

 郷土愛とか

 人間愛とか

 恋愛もきっと。

 

 愛することは、とどまること。そうなのかもしれない。



 
生まれてきて限りない青空にみつめられたから

 きみたちは生きる

 生まれてきて手をつなぐことを覚えたから

 きみたちは寄り添う

 生まれてきて失うことを知ったから

 それでも明日はあると知ったから
 
 きみたちは誰も知らない自分を生きる

 谷川俊太郎
 

 映画「誰も知らない」に寄せられたメッセージです。

 心に残る映画だったなあ。タテタカコさんの音楽がとびきりよかった。今度、CDを探しにゆこう。

 
livedoor プロフィール
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ