2006年07月

ねじ切れてしまったもの

 “カミングホーム”  

 そうして私はおうちに帰る

 夜中のタクシーの窓をすこしあけて

 遊びつかれて

 キスもたりて

 情熱の言葉をあびて
 
 胸の中だけがからっぽのままで

           江國香織「すみれの花の砂糖づけ」より


 


 今日も、2冊、江國さんの文庫本を買った。この1年半くらいの間、ずっと彼女の本ばかり読んでいる気がする。

 満ち足りなくて、切なくて、常に、何かが失われているようで、途方もなくて。

 だから、読む。本の中に、同じような思いにとらわれながら生きている人がいるから。

 虚無といえば、すごく偉そうで、難しそうだけれど。

 からっぽ、というと、しっくりくるかな。

 喪失感といえば、たいそうな印象だけど、

 “I'm so lost.”といえば、ぴたりとくるかな。

 最近、電車に乗ることが多いからだろうか。ずっと、自分のこれまでとこれからを果てしなく考える。

 いわゆる、“軽い絶望”。

 どこかで、聞いたこの言葉は、私の意味の分からない感情を表すのに、最もてっとりばやい言葉で、好んで使っている。

 どこか遠くに行きたいのに、行けない。

 一人で歩みだすには、何か不思議な力に守られる必要がある。何かに満たされる必要がある。

 私には、まだそれがない。

 だから、今は、とどまる。からっぽの心にいくつもの言葉をつめこむこと、いくつもの歌を響かせること、それが今の私にできることだ。

 

 

再会ラッシュ


 1年前から愛する先輩に「京都にいるなら是非!」、とお勧めされていたリサイタルにいってきた。

 京都のアルティーで行われた松本和将さんのピアノリサイタル。

 ベートーヴェンの三大ソナタは私の好きなものばかりで、聴く前からどきどきしていた。

 「悲愴」、「月光」、「熱情」どれをとっても素晴らしかった。心に届く演奏というのは、心に、いろんな景色や思いを連れてくるものだと思う。

 私は、音楽を聴いている間、ずっと旅に出ているようだった。私は、この音楽を作ったベートーヴェンの心情にのりうつることもできたし、メロディーからインスパイアされた物語を読むこともできた。

 本当に素晴らしかった。音楽って、本当に素晴らしい!そして、その素晴らしさを伝えられるアーティストって偉大だな~。

 みなさんも是非、松本和将さんのコンサートに足を運んでみてください。今度、東京でもあるようです!気さくで、誠実で、素敵な人です!音楽にもその人柄が表れています。

 



 8月5日から9日まで東京に出かけることにした。久しぶりに会う友達がいっぱいで、スケジュールがぎゅうぎゅう。高校時代の同級生に、ダンスで知り合った友達、スイスのホステルでであった友達、大学の同級生。。。すっごく嬉しいし楽しみだ。最近、本当にいろんな人との再会ラッシュ。それも、私が、会いたい、と思っている人ばかり。

 もう会えないかもしれない。

 そう思って泣いた日もあったけど。

 私たちは、出会うたびに、新しいわたしとあなたを発見していく。

 そうして、つながりを深めていく。

 私が会いたいと思うひとは、

 私に会いたいと思ってくれている。

 そんな気がする。

 くすぐったいくらい、ゆかいな再会。

 人生って悪くない。

 私の22の夏は、こうして過ぎていっています。

 

 

エリカといてちょっとだけわかったこと。

 
世の中には、対立しているようで、非常に似ているものがたくさんあります。

 そう、紙一重。

 好きと嫌い。

 愛と憎しみ。

 憧れと嫉妬。

 出会いと別れ。

 始まりの予感と終わりの予感。
 
 無くしたものと失ったもの。
 
 あなたと私。

 
 嫌い、憎み、嫉妬する対象とは、愛し、焦がれ、憧憬するもの、そのものです。

 人間の心は、そんなに単純じゃない。つまり、こんなにもわかりやすい。

 好きです、なんて簡単にいえるものは、それほど大切じゃないんだと思うほどだ。

 私は、音楽が好きだとはいえるけど、子どもが好きだとはいえない。

 あの人とは死ぬまで一緒にいたいけど、この人からはずっと逃げるだろう。

 愛するがゆえに、苦しむのだ。

 ここから解放されればどれほど楽かと思うけれども、

 それなしで、生きていけないのだから、仕方ないとあきらめる。


 数冊の本と、昔見たドラマと、5日間ばかり同棲した友達と、「テルーの歌」と。

 泣くことは絶望であり、泣くことは生きる力だ。

 安心と不安。

 信頼と裏切り。

 私は今日、おじいさんの失ったものに同情して泣いたが、それは自分のためだった。

田園の予感

瞬間は永遠となって

印象はかけがえのないものとなります。

私は今日という日を忘れないでしょう。

何かあるな、という予感は、出会った瞬間に全細胞に伝わりました。

私は、これから幾度となくあの田園の納屋を訪れるでしょう。

そして、ひとつの椅子の向こうに、果てしない想像を浮かべながら、ゆっくりとその中を歩くでしょう。

やがてやってくる夏のために準備をしないといけませんでした。

それでも、その訪問者をおしのけて、あの人はやってきたのです。

出会ったのです。



開かずの窓がサヨナラの瞬間ふっと開いて、車内に風が吹きぬけました。

BGMのサヨナラCOLARの魔法だったのでしょうか。

新しい訪問者と、私は椅子に座ってみました。食べてみました。飲んでみました。そして、眠ってみます。

彼が救っているつもりはなくとも、私は確かに救われていくのでした。




彼女は、50年前のタイルテーブル、それに時計がほしいといった。

そして、彼女は気付いていなかったが、

それは、僕自身だった。

「営業時間はあってないようなものですから。」

目の前の君が時計になる。

君は何度もぐるぐると部屋の中を歩き回り、

「明日も来るかもしれません。」

と言い残して、南へと帰っていった。

後には、夕立のあとの、美しい田園が広がって、僕は普段どおりの美しくささかやな幸せを眺めるんだった。

思い返せば、彼女に時計を渡したとき、僕は時計の針を止めなかった。

それは僕自身がまた、新しい時間を刻んでゆくことに似ていた。

待つものに時計はいらない。

僕の時計は今日から彼女の時を刻んでいる。

一日一怒!

 
 「たまには怒ったら、どうですか?
  怒ると、人間らしくなる。
  少なくとも、怒れるってことは植物じゃできないことだからね。」

                     -さらば、映画よ
  “一日一怒!
   この言葉を、私は同時代人のための「時代訓」にしたいと思う。
   もっと気軽に怒ろうではありませんか。
   親父の尻を蹴飛ばし、
   お役所仕事に噛みつき、
   矛盾と不合理を殴りとばし、
   にっこり笑って、
   to love you again!”

               -街に戦場あり
           

                    By 寺山修司
 


 怒りという感情をあまり覚えないタチだと思っていました。

 だからこそ、時折爆発するそれは、自分でも抑えられないものだった。

 物が壊れる、ガラスは割れる。そして泣く。

 私は泣かない。ちょっとやそっとじゃ泣かない。

 でも、どうしようもない怒りがこみ上げたとき、タンクから涙がこぼれだすんだった。

 

 それにしても、うちのkidsは、私に怒りという感情を呼び起こす。呼び起こしすぎる。喜哀楽の暮らしはこの学校に来て終わり、自分の中の「怒」がはっきり顔を出した。

 こどもってそうなんやな。本気で怒るし、本気で笑うし、本気でぶつかってくる。本気で生きてはるわ。

 にせものの笑顔は簡単にできてしまうけれど、にせものの怒りって絶対にばれる。私は、演技で怒ることができない。

 「教師は演技者であれ。ほめるときも怒るときも嘘でもいいからおおげさに。」

 そうやな、と思うけど、できひんのやって。正直にしか。嘘つくの、へたくそやもん。演じるのは好きやけど、子どもの前では、ようせんわ。あ~弱点。自然に演技できたら、いや、演技している中で、それが自然とわきあがるものになったら、そんな力をもてたらええな~。

 それにしても、最近、こどもを叱り飛ばしています。

 だってケガばっかり。いやがらせばっかり。暴言ばっかり。そのたびに、

 「想像力を持ちなさい。」

 「もしこうしたらどうなるか、相手がどんな気持ちになるか想像してごらん。」

 「素直に反省する心を持ちなさい。」

 傷つけあいながらしか、学べないから。それでも、痛みは、やさしさへと変わってほしい。

 ここまで、自分が怒り狂うんや~と、怒りながらも冷静な自分がいる。

 「怒れない、しかれない」が、私の悩みだったので、へたくそながら階段のぼってんのかな、と思います。

 こどもほめてのばす、とかいうけど、それも本当なんだけど。。

 私がここ最近の叱り飛ばし月間で感じるのは、叱ったり、怒ったりの人間的なぶつかりあいを通したあと、こどもとの関係がぐっと縮まるってことです。こどもが素直になるし、信頼関係が生まれる。これは、実感、体感。

 悪いことをして、見過ごされるより、徹底的に叱られるほうが、ええんやろか。うん、そうなんやろ。そっちのほうが、愛よね、きっと。

 ほっておかれることと、許されることは違う。

 罪なら償ってから許されたいだろう。

 「盗みは愛情の請求書。」

 盗みを繰り返す子には罪の意識がない。それは、親にもっと本気で叱ってほしい、関わってほしいというメッセージだと。愛情に飢えているんだ。

 愛とは、怒ることであったり、叱ることであったり、
 
 とにかく、関わること、その子の生き様とぶつかりあうこと。

 人間的なぶつかりあいって、絶対、こどもとの関わりあいには必要だと、確信する日々です。

 泣くまで怒る!反省するまで待つ!!
 
 しつこく、しぶとく、ふてぶてしく。

 

 修羅場を越して、ベソかいて帰らせて、おうちに電話して様子を話して、、、次の日。

 今日は、私と話してくれるかな~。。。ちょっと心配。関係が崩れてやしないか。。。様子を伺ってみると。。。

 意外にも、いつもより、ずっとかわいい笑顔で話しかけてくる。なついてくる。反抗しなくなる。指導が入るようになる。私も、こどもも楽しくなる。

 こどもってミラクルやな~。。。あの笑顔には負けるわ。

 「藤原先生が怒ったくらいで、こどもらは先生のこと嫌いになったりせんから。本気で叱ったらいいねん。」

 教頭先生、そのとおりです。

 まだまだ手強いギャングエイジの4th Graders...しばし、戦士の休息。。。

 夏休みあけは、運動会や~~ダンスするぞ!




 


 
livedoor プロフィール
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ