2006年08月

愛してやまない静かな人びと

8月31日。

 何の祭日でもない。

 何の記念日でもない。

 それなのに、とてつもない意味を持っている日!


 あ~・・・夏休みも終わりです。外は雨が降っています。これは、もう秋の雨なの。

 
 

 “帰れない二人”

 静かに、静かに。

 沈黙の音に耳をすませてみたい。

 煙草の煙と、もつれる想い。

 あなたは、誰かに似ているようで、誰にも似ていない。

 人気者なのにひとりぼっちで。

 強いのに弱い。

 

 風の歌と虫の音が、静かに私とあなたの間を流れてゆく。

 私はちっとも眠れないのに、あなたはどこか遠くにいる気がする。

 近いのに遠い。

 かさこそ、と煙草を探る音だけが、

 私を安心させる。

 私たちは多くを語らない。

 思っていることの半分しか口に出すまいと決めて、

 思っていることの半分しか語るのことのできなくなった、

 あの主人公のように。

 私たちは、夜の丘で、

 語れない想いを、時間の長さに変えてじっと座っていた。



 季節の終わりに吹く風は、

 どこへいくだろうか。




 “糸井先生”

 ジャズの好きな先生は、

 ウッドベースのように、低く、ささやかで、澄んだ声で話すものだから、

 私はとなりで、

 なにか心地よい音楽を聴いているようになっていた。

 夜の道路が終わりに近づくのは、

 コンサートの終わりのようで、

 また聴きにきますというと、

 その先生はおだやかに、「是非」と。

 美しい余韻がいつまでも私をつつんでいる。


 


 世界にはこんなにも美しい人びとがいて、

 私はその人びとの出会えているという事実!

 もう、23歳になってもいい。この夏は、どこをかじっても甘い蜜のこぼれだすような、濃密な日々だった。

 昨日のおかげで、明日という日を忘れてしまいそうだ。
 
 また、過去に生きはじめている。




 8月31日。琵琶湖博物館で魚をみて、ジョゼを思い出した日。

 死んだモンかあ。
 

 

上昇気流


気流にのってきた。

 そんな気がする。

 きっと憂鬱だろうと思っていた夏の終わりに

 こんなにも気持ちがおだやかで軽やかなのは

 夕立のあとにかかる虹のようで、素敵だ。

 緑色の蛇が運んできた幸せなのかもしれない。

 キキのように、雫のように…

 気流にのれると、もうどこへでもいけそうな気がする。

 誰かがいる。

 そして誰もいない。

 でも大丈夫。





 アメリカに旅立ってから早くも2年。

 ホストママからメールが届いて、すごく懐かしくなる。

 

 あ~!私は全世界に嫉妬しているんだ!

 


 今日の校内研修はアナウンサーによる発音・発声指導と少年院の臨床心理士の方の講話だった。

 しびれたな~。素晴らしい人が世界にはいて、あ~、私も、ここで何かをやっていかないといけないんだとひそやかに誓った。

 3月には、「芸術家と子どもたち」の企画で、コンテンポラリーダンサーや音楽家の人達と一緒にプロジェクトをやることになった。今からうきうき。

 ♪♪ワニバレエ~~~ワニバレエ~~♪♪

 行き着いた場所には、必然性があるんだな。

 私は幸せではなくとも、自分の人生が好きだな、と思う。

 

 たくさんの本を読み、たくさんの人と語った。

 だから私は、こうして気流にのれたのかもしれない。

 

 “私は私の人生が気に入ってるの。
  そんなに幸福ってうわけじゃないけれど、でも、幸福かどうかは
  そう重要なことじゃないわ。”   江國香織 『東京タワー』より
 

 そうそう、幸福かどうかって、重要じゃないわ。

 私のお気に入りの人生。

満ち足りた夜は1年分。

一つずつ、明らかになっていく。 

遠い場所で、誰を思いだし、誰の夢をみて眠るのかも。

「旅行鞄 ~“とるにたらないものもの”より 江國 香織 」



 旅の終わりは苦手だった。

 さびしくて、やるせなくて、脱力感に見舞われて、

 お家に帰っても、ほっとするのもつかの間、旅の断片がかけめぐって、正気じゃいられなくなる。

 だから、旅の終わりは苦手だった。

 でも、今回は、違う。

 私は、今、冷静に旅を振り返ることができる。旅の出来事を味わい、満ちてゆく。

 満ち足りているのはなぜだろう。

 私は、一人だが、幸福だと思う。

 


 世の中は本当に素晴らしい。5日間の東京へのショートトリップの中で、幾度となく、そうつぶやいた。

 おいしいごはん。

 愛子の丹後の幸をふんだんに使った朝ごはん、そして夏野菜カレー。バナナジュースの幸せはささやかで満ち足りた幸せの代表。

 最後の夜に菊名にある静(大学のときダンスで知り合った友達)のうちでご馳走になった晩御飯。そのうっとりする品々。彼女らしい、かわいくてお洒落な部屋。小さくて、無限の彼女の宇宙。そして谷川俊太郎とクラムボン。

 リキがBUNGAで作ってくれたカクテル。名前は…内緒にしておこう。ピンク色のかわいいカクテルに酔い、彼と踊った習いたてのサルサは近くも遠くもない日々の私の夢だった。

 みさちゃんの話になきそうになって。たくさんの人生が、優しさが、そして優しさに責められながら生きている人たちがいるのだと知った。誰かに会うために生まれてきたのだと思った。

 もうすぐアメリカに再び飛びたつ空也。赤いブックカバーはまだ彼がアメリカにいるころに、いつか渡す日がくるだろう、と思って買ったものだった。渡した2冊の本は、どちらも、温かいお話。出会いと別れの、切ないお話。何回あっても、つかみどころのない人は、また夢を追いかけて飛び立ってゆく。次に会うのは、何年後だろう。

 

 一生のうちで、こんなにお酒を飲んだのもめずらしい。それくらい、毎日飲んでいた。しかも、楽しく、愉快な、おいしいお酒ばかり。

 愛子、びわちゃん、かずみん、みさち、ようP,空也と類くん&愉快な仲間達(special thanks to 金髪の少年)、じゅんぺいくん、ゆりくん、おびかくん、ともちゃん、美奈子、やささん、プーさん、リキ、かおりP、BUNGAサルサ教室の素敵なみなさん、そして静。一緒にグラスを合わせた親愛なる人びと。

 永遠に続くことは無い、ひと時はシュワリしゅわりと消えていった。日々の泡はいと美し。

 社本多可のダンスパフォーマンスとワークショップ。やさしい光と夜の闇の中で、彼女が読んだのは「すみれの花の砂糖づけ」(江國香織)だった。なきそうだった。全てが優しかったし、世界はつながっていると思った。

 上野公園とのぶさんとカキ氷と南極の氷。スイスであった笑顔の素敵な人。ペンギンとアザラシのかわいさに感激し、木陰でうっとりとブルーハワイを味わった。そこには、淡々と時間が流れ、夏の暑さと冷たさが正確に存在していた。

 中目黒のカフェでアボガドと明太子のごはん。大学芋とバニラアイスパイ。クランベリージュースとレモンティー。若鶏と山芋の梅肉サラダ。かぼちゃのカレーライス。レバニラ。
 小さなテーブルに乗り切らないくらい注文し、至福のときを味わった。そして彼の愛するアイス珈琲に私はヘーゼルナッツラテ。
 2人とも「ジョゼと虎と魚たち」が大好きで、クラシックとジャズを聴いちゃって、サガンを読んじゃって、そんな似た自分達を笑い、お互いを虐げあってはまた笑う。この人といるとき、私は、やっぱり幸福だと思う。どんな悲しみも封印されて、どんな不安も消え去ってしまう。私は、この人といるときの自分が好きだし、この人も、この人のすることも全部好きだ。

 私は、彼を一生失いたくないと、再び思った。そして、同時に、手にいれなくてもいい人なのだとも。

 それでも同じことなのだ。

 私達は、ずっといい友人でいることができると思う。たとえ、1年に1度しか会わなくても。そんな愛しい関係なのだ。必ず期待に応えて、あるいは期待以上のものをプレゼントしてくれる。やさしい人だ。ありがとう、りきちゃん。


 会いたい人がたくさんいた。会いたくて、会いたくて、どれほど待ちわびたかしれない。そして、この夏、私はそのうちの多くの人に会う機会を得た。これって、本当に、素晴らしい、奇跡的なことなのだろう。

 異なる人生を歩み、生活している人びとの暮らしを垣間見て、お互いの人生を交換する。そこに、何かしらの熱が生まれた。

 今の私を満たしているのは、そうした熱だと思う。

 会いたい人がいることは、生きる力だ。

 会うべき人がいることは、生きる希望だ。

 思いがけない幾千の出会いは、約束の待ち合わせへと変化しうる。

 全ての出会いに意味がある、そして、その出会いを価値付けていくのは、、、

 その人のセンスと行動力、そして、運。

 

 旅で出会った人にメッセージを送り、買った本を読み、聴きたくなった音楽を聴き、一人の夜は、満ちてゆきます。

 あの夜の満月のように。

 一瞬のきらめきをころがしながら、また、私は夢をみることにします。

 旅路で私に出会ってくれた全てのみなさん、、ありがとう!これからも、その出会いの糸を静かに、ささやかにつむいでいければと思います。

 
  


 

 

 

 

 

 

 

流れ去った一年の月日

 “我々はまたもや孤独になる。

 それでも同じことなのだ。

 そこにまた流れ去った一年の月日があるだけなのだ。”
     
     フランソワーズ・サガンの言葉  『ジョゼと虎と魚たち』より
 


 今夜私がすることは、去年の私がしたこととまるっきり同じだ。

 私は神戸にダンスの全国大会の受賞作品の上演を観にいく。

 そして、夜行バスに乗って、東京へ行く。

 去年の7月31日に生きたように。

 考えてみれば、いくつ、去年の私と同じことを繰り返しているだろう。

 忘れられないのだ。去年の今を。時がたっても、鮮烈に残って薄れない記憶。「夏」を待ち遠しくさせたのは、全部「2005年の夏」のせいだ。 

 私は、過去を追っているのだろうか。

 どこかに、もう1度、という願いを秘めているのだろうか。

 そうじゃないとも、いいきれない。そうかもしれない。

 いや、そうなのだろう。

 しかし、いくら追ったところで、去年の夏と同じ瞬間は戻らない。

 最高の去年を上回るような、逆転がないと。

 私は、失望することをうすうすしっていながら、期待しすぎてしまったのだ。

 何も、同じことを繰り返そうとしたのではない。
 
 ただ、期待することでしか、前に進めなかったんだ。

 

 ふと、考えてみる。

 もう2度と戻らない去年の夏が「過去」のものになったとき、

 「思い出」になったとき、
 
 果たして私は、幸せなのだろうか。

 笑っているのだろうか。

 とまったままの時間。

 「パントマイムで一番難しいのは、動かない静物になることなんだ。

 みてごらん、僕は古い時計になるよ。」

                         世紀末の詩 より


 止まったままの時計。振り切れないほどの素晴らしい過去にしばられることは、果たして幸せなのだろうか。

 あの時点で、終わってしまったのかもしれない。

 あとは、一生、「死んだモン」として生きるのかもしれない。

 ジョゼのように。「世紀末の詩」のコオロギさんのように。
 
 ん~、要するに、一生涯に一度の夏ということです。

 きっと、今年の夏が、こんなふうに、切なく美しく、思い出されるものになることを願って!

 いってまいります。

 残像が一生の苦しさとなるほどの、最高の瞬間があってもいいじゃないか! 
 

きまぐれな人生曲線

 今日は駅前でたこやきやのおっちゃんに軽く口説かれました。「君の顔は一度みたら忘れない。」だって。おっちゃん、駅前で、何人にこの台詞を言ったのだろうか。。。笑  

 もう、若い人はあきらめて、おっちゃん志向で行ったほうがいいかもしれないという天からのお告げかもしれません。確かに、おっちゃんだけには昔から声かけられます。

 おっちゃんでも詩人か画家か映画監督からついていくけどな~。人は肩書きで判断する。笑

 インド人やたこやきやさんは、笑顔でサヨナラです!笑 でも、また来るで!おいしかったしな☆

 今日は、念願の眼鏡を購入~!私が変われば、見える世界も変わる。

 2時間くらい、眼鏡をかけにかけまくって、店員さんをひっぱりまわして、阪急の閉店後までしつこくいたかいあり、本日ゲット!

 この眼鏡とともに、美しい景色や、素敵な映画を観るのだ。るんるん♪

 最近は、民族っぽい服にこっていたけど、眼鏡に似合う服装にしようかしら。。。めくるめく妄想、いとたのし。

 こどもにはなんていわれるだろう。

 まあ、9割がた、「だっさ」「似合わん」「ヤンキー(?)(1学期の私のあだな その①)」「何それ」「変なの」

 という返事が返ってくるだろう。そして、不意をつかれて、眼鏡をとられ、クラスの男どもの変身道具と化す!

 間違いない。

 いやな妄想はこれくらいにしとこ。

 昨日の日記はとことん暗かったけど、私、眼鏡とともに、ちょっと復活。それから、素敵な本屋さんと雑貨屋さん・・・京都の一乗寺にある恵文社のおかげで。それから、やっと返ってきたメールのおかげで。

 旅立ちってすごくエネルギーがいることなんだ。それが、逃避であれ逃亡であれ。

 逃避は、マイナスだと思い込んでいたけれど、反発するエネルギーと考えれば、りっぱなプラス!

 物理学的にはこれは正銘できるのかしらん。

 ま、私の中では、ひとつのきまぐれな真理が正銘されたってことで、

 空も飛べるようだ!!

 うん、私は、3年後にどっかにいく!!

 明日は久しぶりの学校だ!「飛ぶ教室」のように、いってきます。
livedoor プロフィール
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ