2007年03月

インプロワークショップ・しなりれ vol.2  4月21日開催します!

 春の風に浮かれているYukaです。

 っていっても、Yukaで通じる人とそうじゃない人といるので、ちょっとだけ、名前の話。

 私には、主に、以下のニックネームがあります。

 Yuka(アメリカ留学中に、発音しやすいからつけた名前。)
 由香里(本名)
 藤原先生(学校向け)
 キューピー(ワークショップやキャンプで使う名前)

 以上です。

 時々、混乱させます。すみません。全部、私です。

 で、今回は、キューピーである私が主催する、インプロのワークショップvol.2のお知らせです。

 第一回目はおかげさまで大盛況でした!いろんな人が来てくれて、あっというまに打ちとけて、すっごく楽しかったな!

 まさに、しなやかリレーションです。そんさんが、略して、「しなりれ」と呼び始めました。「山科(やましな)」でやっているので、それもあって、「しなりれ」うん、いいじゃないですか。まとまりのなさが、いいですね。

 ということで、しなりれ第2回目!参加者、大募集中です~~♪みなさん、うららかな春の日、和室でしなやかにまじわりませぬ??

 たくさんのお申し込み、お待ちしていまする☆私まで、メールくださいね。

 


Education Workshop Vol.2
「第2回 しなやかリレーションシップ ~子ども達をつなごう!インプロで、心とからだのキャッチボール~」

 子ども達に、“「コミュニケーション能力」を身につけさせたい”、“「表現力」を養いたい”、と思っておられる方は多いでしょう。
 ところで、子ども達と関わる、みなさん自身は、心地よいコミュニケーションの方法を知っておられますか?無理のない自己表現ができていますか?子ども達の発言や行動に、ユーモアや思いやりを持って、柔軟に対応できているでしょうか?

 “なかなか、難しいな”、と思われている人も多いはずです。
 
 このワークショップでは、「インプロヴィゼーション」という手法を用いて、子どもと関わる大人が、人間関係作りや、自己表現の方法に、新たな発見や気づきを持てるようなワークを行います。それは、同時に、子ども達の人間関係作りの手助けとなるようなワークでもあります。
 
「コミュニケーション能力」、「表現力」、「伝え合う力」・・・教育現場で、よく聞かれるこれらのキーワード。どうすれば、大人も子どもも、こうした力を養っていけるのか。参加者みんなで活動する中で、気づきをシェアしながら、しなやかな関係作りのヒントを想像・創造していけたら、と思います。

「インプロヴィゼーション(通称・インプロ)」とは、英語で「即興」という意味です。もともと、俳優の演技のトレーニングとして1970年代に欧米で開発されたプログラムです。90年代以降、学校教育、企業研修、コミュニケーション講座など、各分野で応用されています。

今回はワークショップ第2回目ということで、インプロのワークにくわえて、前回参加された方からの、「実際に子どもたちとインプロをやってみて、どうだったか。」という、実践レポートもまじえながら、活動を展開していきたいと思います。

 講師には、元小学校教員で、インプロヴィゼーションを取り入れた総合学習の実践家でもある鈴木聡之氏をお迎えし、子どもと関わる現場で役立つワークを体験していただきます。

自分への気づき、他者への気づきがきっと、たくさん生まれるはず。そしてそれは、新しいコミュニケーションのページを開くことにつながるかもしれません。参加されるみなさん自身が、無理のない、心地よいコミュニケーション・スキルを身につけてこそ、子ども達のコミュニケーション能力を伸ばしていくことができるのではないでしょうか。

ワークショップの内容に興味を持たれた方は、是非、お気軽に参加してください。多くの方のご参加をお待ちしています。

日時:2007年4月21日(土)13:00~17:00 
場所:アスニー山科 和室 (〒607-8080 京都市山科区竹鼻竹ノ街道町92番地ラクト山科C棟2階) 
●地下鉄東西線「山科駅」下車
●JR東海道線「山科駅」下車
●京阪電鉄京津線「京阪山科駅」下車
●京阪バス「山科駅」下車
 いずれの交通機関からも、徒歩約5分です。
対象:教員、または教員を目指す大学生、子どもと関わっている方など。(興味があれば、その他の関係の方でもご参加ください!)
参加費:一人2,000円(学生1,000円)
持ち物:筆記用具、名刺(たくさんの方と出会う機会ですので、あるといいですね♪)
プログラムの内容(予定):①インプロのワーク ②インプロの実践交流 ③ワークの振り返りと気づきの交流 
申し込み方法:①名前 ②職業 ③連絡先の電話番号とメールアドレス を記入の上、kaicook@gmail.com(藤原)までメールください。


〇講師:鈴木聡之(すずきさとし)氏 ~通称「すぅさん」~
千葉県の小学校教員として21年間勤務。勤務校ではインプロを取り入れた演劇の授業を実践。2006年3月に退職、現在は、全国各地でインプロ・ワークショップのファシリテーターとして活躍中、2007年から武蔵野学院大学(コミュニケーション講座)で非常勤講師を務める。

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~ワークショップ講師「すぅさん」からのメッセージ~

『インプロで子どもたちが変わる!』

 インプロの基本は、「人のアイデアを否定せずに、徹底的に受け入れ、そこに自分のアイデアを乗せていく」というものです。これを一言で言うと「イエスアンド」という言葉になります。インプロは、心とからだのキャッチボールです。

基本ルール  「人のアイデアを否定せず受け入れる」(イエス)
            「人に優しいボールを投げる」(アンド)

自分の表現を相手に伝える活動を、ゲーム形式で楽しみながら「イエスアンド」を学ぶことで、子どもたちには、次のような経験を積んでもらうことができます。

○どんな表現をしてもOKという開放感、安心感のなかで、受け入れられる喜びを体感する。

○自分が言った言葉や演じた動きが、必ず次の表現に活かされる経験を通して、表現する楽しさを味わう。

○自分のアイデアを乗せるときに、相手のことを考えた表現をする(受け取りやすいボールを投げる)ことを心がけていくうちに、互いを尊重する気持ちが養われる。

子どもたちは、学校生活の中で、いわゆる「勉強のできる子」や「リーダーシップの取れる子」は、日常的にのびのびと自己表現をしていますが、そうでない子どもたちは、自己表現をためらってはいないでしょうか?

「こんなことを言ったら、友達に笑われないかな?」

「こんな考えは、先生にダメって言われないかな?」

「自分の意見は、まちがっているんじゃないかな?」

インプロの時間では、全てのアイデアが否定されず受け入れられます。その経験を繰り返すことで、子どもたちに「いきいきとした表現力」と「互いの存在を尊重する心」が育ってきます。

インプロのゲームを楽しむことが、そのための第一歩です!
                             From すぅ
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第1回 「しなやかリレーションシップ」参加者の感想 (一部抜粋)

〇あたたかい雰囲気でよかったです。
〇目と目を合わせてコンタクトをとることの大切さがよくわかりました。笑って過ごすことで、初対面でも昔から知っている感覚になる。受け取って相手にわたす(伝える)ことは、コミュニケーションの原点であり、それを苦なくできる、自然とできるインプロのワークはすごいと思いました。クラス作りに行かせると思いました。何よりも、純粋に楽しかったです。
〇自然に自分を表現できるというのも、インプロのすごいところだと思いました。
〇自分で意識しないのに、すごく笑っていて、自分が意識していない感情や表現がどんどん出て、絵でも言葉でもないけれど、おもしろい自己表現の方法やと実感しました。
〇初めて出会う人たちと楽しくゲームができて良かったです。子ども達と一緒にしたい気持ちも出てきましたが、自分の輪を広げるためにも、人と人との交流を大事にしていきたいと感じました。否定されず、受け入れてくれる関係はすばらしいと思います。
〇子どもと目を見て、関わりたいと思いました。私自身が、子どもをついつい否定してしまします。受け入れることを増やし、子どもが居場所を学級の中に感じてくれたらな、と思いました。
〇“Yes,and”、すてきです。日々忙しく流れていますが、ふと気付いて、“Yes,and”をしようと戻ることが増えてきました。
〇それぞれに、色んな気づきがあり、又、情報交換できる場として、とても良い交流になりました。
〇学校の先生や保護者の方が、“Yes,and”なマインドを持つことが、一番の教育改革だと思います。
〇相手のことを受けとめることって、普段あまり考えないんですが、とっても大切なことだなぁと思いました。自分を受けとめてもらえるっていう実感は大切やし、子どもの頃は特にそうだと思うので、自分のクラスでもまたやってみます。

・・・幼稚園や小学校の現場で働いておられる方をはじめ、教育を志す学生さん、子どもとのキャンプやイベントに関わる方、医学部の学生さんなど、様々な方が集まりました。初対面の方が多かったにも関わらず、あっという間に打ち解けてしまいました。これも、インプロの力ですね。ワークショップ後の懇親会にも、20人近くの方が集まってくださり、お互いの仕事や、日々考えていることについて、時間も忘れて語りました。本当にいい出会い、つながりが生まれた一日でした。今後も、定期的に、このワークショップを継続、発展させていきたいなぁと考えています。第2回も、たくさんのご参加お待ちしています♪ 
                       Fromワークショップ主催者 「キューピー」こと、藤原(kaicook@gmail.com)

やり残したこと


「やり残したことがあっていい。また次に来る理由ができるから。」

 そんな主旨のことを、言ってたのは、エリカ。

 旅の最後に、「あれができなかったね。」「ここに、いけなかったね。」
 そういう話をすると、彼女は決まっていうのだった。

 驚くほど、すうっと入ってくる、アイデアだ。

 そのとおり。やりのこしがあって、いいんだな。後悔があって、いいんだな。

 別のつながりが、生まれるんだから。

 そんなふうに考えると、いろんなことが豊かになる。

 まとまらない。すっきりしない。整理しきれない。
 
 そんなふうに、一年が終わった。

 「4年2組、解散!」

 そう言って、散った。

 女の子達が、内緒で、プレゼントを用意してくれていて、別の部屋でサプライズ。あったかい気持ちで、教室に帰ると、いつも、教室に遅くまで残っているヤンチャ君たちが、黒板にメッセージを書いてくれていた。

 目に入った言葉が、いっきに涙腺を緩ませる。

 「先生とあえてよかった。」

 一年間、色んな意味で、私を泣かせたM君からのメッセージだった。
 
 何もしてあげられなくて、ごめん。

 彼への、その申し訳ない気持ちを、ほんの少しだけ、軽くしていいのだろうか。

 どんな言葉より、嬉しいじゃない。

 ありがとう、M君。

 荒削りで、めちゃくちゃで、秩序がなくて、理性より、感情むき出しで、

 そんな1年間だった。いっぱい、人から注意され、怒られ、そして、その倍以上、自分で自分を責めたように思う。

 でも、それが、私にできる全てだった。

 行儀よく、真面目にはできなかった。尾崎豊じゃないけど。

 自分らしさとか、自分のスタイルなんてものには、ほど遠く、そこに行き着くまでに、まだまだやらないといけないことがある。

 でも、この1年、私が感じたこと、やったことは、全て、間違いじゃない気がしている。

 あんまり、人の評価は気にしないでおく。自分の感性を信じる。

 そうじゃないと、必ず大切なものを見失うから。

 自分が正しいわけではないけど、ある程度、自分を信じていいはずだ。

 いや、正しさってものすら、価値があるかどうかわからない。

 自分が感じたことを、大切にすること。

 そこから、開けていく気がする。

 

 クラスのK君が、書いてくれた作文をみんなに紹介します。この1年、色々な形で応援してくださったみなさんに感謝です。このブログを通して、いっぱい応援してもらいました。書くこと、そして読まれること、そして感じてもらえることが、新しいパワーになっていました。ありがとうございました。

 「4年生をふりかえって」

 はじめに、はじめの時は、うるさくて、立ち歩くは、やりたいほうだいやった。でも、三学期になってなんかちょっとひきしまってた。だから、どんどん1学期や2学期にくらべてよかった。

 みんなもめっちゃかわってる。これは、先生がみんなをかえてくれたんや。もし、先生がこわい先生やったら、みんなし~んとなってたと思う。

 でも、みんな先生いやってゆうけど、ほんまわええやで。

 ダンスは、あまりおもしろくなかったのにあとあらめちゃくちゃ楽しかった。なぜかとゆうと先生がたのしてくれてんねん。

 だから、この1年間ぜったいたのしかった。おもしろかった。


 ・・・・・わけのわからない感情がおしよせてきます。

 本当に、しんどかったときもあったけど、働きかけていくことをやめなかった。子どもと自分を信じ、働きかけ続ければ、いつかは、変わることがあるかもしれない。そうなのかも、しれない。

 子ども達の作文には、何度も、「変な先生」という言葉が出てきました。まあ、だいぶあやしい人だったらしいです。

 突然踊りだすし、歌いだすし、冗談とも本当ともとれないことを言うし、間違えるし。

 多分、ずっとこんな感じだけど、私に言わせれば、子どもたちも変な人ばっかりなので、お互い様です。うんうん。

 さてさて、今日、日曜日は、ずっとゆっくりしていました。明日から、1年間の後片付け、そして、来年度の準備です。

 やり残したことが、いっぱいあるから・・・あなたたちを、忘れません。そして、次に進もうと思います。

 春の風が、記憶を呼び覚ます・・・季節の移ろいが、愛おしい。

 

春風にのった便りです!~糸井先生が代表を務める、教育研究会 開催決定!

はろ~、みなさん。風邪をひいていませんか?

 私と、私のクラスの子どもたちは風邪っぴきです。咳ごほごほ。今日は、学級閉鎖で一日休みでした。学校にいっても、子どもたちは教室にいない。なんだか、へんな感じでした。

 さて!そんな風邪も、冬の天気もふきとばしちゃうくらいの、ホットな情報です。学校で勤務している人達!要チェックです。

 私が、しょっちゅうブログに書いている、「糸井先生」こと、「糸井登」先生@平盛小学校 が、若手教員、および教職希望の学生向けに、教育研究サークルを立ち上げられます。その第一回の研究会のお知らせです。もちろん、私も参加します。

 糸井先生の魅力は、このブログでも、何度も書いています。今回、こうした企画を通して、是非、学校外の方に、糸井先生や、糸井先生が講師として招かれた先生方に出会って、私と同様に、刺激を受けたり、学びを得たりしてほしいなあと思います。出会ってほしいのです。

 このブログを読んでくださっているみなさん、糸井先生にあいにきてください~~☆

 春の一日、あなたの心に、きっと新しい風が吹くはずです。

 
以下、情報です。(糸井先生のブログ「学校に新しい風を!」)からの引用です。糸井先生の活動に興味がある方は、ブログを是非のぞいてみてください。私も、毎日愛読しています。


これから教師を目指す学生さん、
学校教育現場での指導の幅を広げたいと考えている若い先生へ


教育研究サークル「明日の教室」のご案内

「学校教育の現場を知って、豊かな教育実践をしたい。もっともっと力を付けたい」。
そんな思いを持っている「あなた」。京都で一緒に学びませんか。

                       代表 糸井 登(すすむ)


教師になりたい、教師としてしっかりとした指導をしたい。だけど、子どもを見る目・関わり方、授業の作り方、担任の具体的な仕事、これからの教育の考え方、子どもとの遊び方はどうやって身につけたら良いのか良く分からない。

今までは学校に入ってから先輩の先生に聞きながら教えてもらうこともできたらしいが、ベテランの先生が退職し、教育に対する要求が高まっている今、若い教師であってもすぐに授業と担任を持たなければならないようだ。うれしいけど、不安だ。

            ◆

教育は「ラグビー」に似ています。先生は、「ボール」を受け取り集団の先頭を走ります。しかし、その歪なボールは前にパスすることはできません。後ろから走ってくる子どもを信頼して、後ろにパスするしかありません。

この「ラグビー」は教室だけではなく、教師と教師の間にもあると感じています。この研究会を主催する私達も、かつて先輩教師たちから「ボール」を受け取りました。そして走り続けています。ですが、そろそろ次の世代にパスする時期が来ているのではないかと感じるようになりました。

パスを出したくても、受け取る相手がいなければ困りますし、その逆もまた困ります。教育研究サークル「明日の教室」では、若い教師と教師の卵の皆さんが、これから直面するであろう具体的な教室の場面での指導を、一緒に考えてゆきたいと思います。

教育をめざす若い人のエネルギーと、ベテランの教師経験が奇麗に織りなす時、学校教育現場には豊かな実践が生まれるのではないかと、私達は考えています。

            ◆

教育はたった一つの方法、一つの正解があるわけではありません。
理論と具体的な指導力を身につけた先生が、その子どもと子どもを取り巻く関係の現実を踏まえて、彼らを自らと社会が求めるより良い変革へと一歩を踏み出すことができるように、指導し支援する営みではないでしょうか。そうだとすれば、その為に教師は学ぶことがたっっっくさんあります。

京都で一緒に学びませんか。
以下に、「明日の教室」第一回研究会のご案内を載せます。


日時: 平成19年4月14日(土) 13:30〜17:00  受付 13:15〜
テーマ: まだ間に合う、今年の学級作りのスタート
       講師 糸井 登(代表・宇治市立平盛小学校)、池田 修(副代表・京都橘大学)
会場: 京都橘大学 児童教育学科棟「児優館」 5F 臨床教育実践スタジオ
定員: 30名
アクセス: JR山科駅からバス15分、地下鉄東西線椥辻(なぎつじ)駅から徒歩15分。
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/information/access.html
参加費: 1500円
懇親会: 研究会終了後、山科駅近辺で交流しましょう。実費です。
申し込み: 池田 修  http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P2213754 まで。メッセージ欄に「明日の教室申し込み」として、所属や今抱えている課題等を書いて頂ければ助かります。

今後は: 5/19, 6/23, 8/25を考えています。豪華講師陣を予定しています。

揺れるワニ・バレリーナ3

(続き)

野村さんのやることに、ショックを受けて、相当揺れた。揺れ動いた。たぶん、初めて人の授業を見て、これほど揺さぶられたのは、初めて。

最初のうちは、ゆさぶられて、不安定だった。その心地悪さの理由が何かわからなくて、頭と身体が一致してなくて、最初の3日くらい、楽しいけど、楽しめてなくて、そんな楽しめてない自分が許せなくて、しんどかった。

その理由が全然言葉になって出てこなくて、ブログもレポートもかけなかった。話もできなかった。他の人のブログを読んだり、野村さん本人のブログを読んで、また、ガーンとショックを受けて、ああ、自分はなんて愚かしいんだと自己嫌悪にさいなまれて、ああ、もう学校に行きたくないなんて、ほんのちょっと感じながら、もがいていた。

水曜の夜にどうしようもなくて、相当疲れていたけど、夜中1時にベッドに入っても眠れなくて、ベッドの中で、天井見上げて泣いた。

野村さんがうらやましいなあと思った。私も、あんなふうにスポンテニュアスに生きたいなあって。そして、子どもたちをあんなふうにスポンテニュアスに生かして、きらきらした表情や、わくわくすること、どきどきすること、おもいっきりばかで楽しいことで、いっぱいにしたいな~って。

でも、私は、「恥」とか、「恐れ」とか、「不安」とかを相当覚えていて、他者の目を気にする思春期の女子中学生のようで、常に人からの評価のことを考えたり、これをいったら、その人はどう思うかとかを考えすぎて、不自由だ。自分で自分をがんじがらめにしている感じ。心配性だ。考えすぎだ。

安心を求めている。冒険したい、と語りながら、勇気なんてないんだ。恥ずかしくないように、安全な道を選んで、飛ぼうとしている。結局、枠の中から出られない。出ようとしない。

子どもにも、自由で、のびのびしていてほしいと願いながら、本当にのびのびすると、都合が悪いから、叱る。注意する。指導する。ケガはこまる。暴力も暴言もいじめも困る。だから、そうならないように、指導する。悪影響にならないように、問題が起こらないように、ハラハラドキドキする。限られた、把握できる範囲、予想の中で、遊ばせようとする。自分の身を守るために。でも、それは、教師という職業柄、必要とされる、いわば、宿命ともいえる。

だって、学校のせいになるもん。教師のせいになるもん。教師が責められるもん。子どもじゃなくて。指導が悪いから、判断ミス、って言われる。予想しておかなかったから、悪いって言われる。

指導案って何さ?ああ、もうなんかいやになっちゃう。

初めから、予想しないと駄目で、予想をふまえて、次の手をうっておく。それができるのが、意図的にできるのが、いい授業だ。

 でも、今回のワークショップは、そうじゃない。
 
 行く先はなんとなく夢のようにぼんやりと、「こうあったらいいのにな♪」ってきまってて、でも、いろいろ道草食いながら、出会った人や景色や出来事、生まれた歌や絵をパッチワークのようにつなぎあわせて、ばらばらの、でも色とりどりで素敵な柄が生まれた感じ。ワークショップの日々の断片がここそこにキラキラと輝いていて、それは、予想外、想定外で、でも、期待通り、いや、期待していた以上なんだった。

アーティストは、表現とか、技術とか、アイデアとか、普通の人よりずっと豊かで、予想外の出来事に柔軟に、的確に対応できる。とにかく、受け入れようとする。子どもの中から、自然発生的に出てきたものを、ひろいあげ、受け入れ、生かそうとする。

その営みが、私にはショックだった。

私も、そういうことを心がけるようにはしている。でも、それは、それっぽいことをしているだけで、本当にいかせていることは、10回に1回くらいだと思う。

「その意見もいいけど、やっぱり正解はこっちだよね。」みたいな授業になっちゃう。なりがち。

今回は、正解はなくて、「こっちのほうがいいな~」なんていう感覚だから、成立したのかもしれないけど、それにしても、素晴らしかった。

子どもたちが自由に、表現するためには、クリエイティブになるためには、それなりの環境が必要だ。安心感。刺激となる材料。(今回だったら、楽器やダンボールなど)。部屋(音楽室より、多目的室。体育館に行ってから思いつくこともある。)そして、まわりの大人。バックで流れる音楽。その組み合わせ。繋ぎ方。

幼稚園では、何よりも、環境を整えることが大切なんだって。

それと一緒。環境があれば、そこから、自然発生的に子どもたちは何かを生み出し、気づき、学んでいく。

人生に必要なことは、幼稚園で、学べる気がする。それは、幼稚園が、遊びを中心とした生活があるからだ。でも、小学校に入ると、「小学校は幼稚園とは違いますよ!」なんていう、凛とした声で校長先生が話をして、「大人になることは、かっこいいこと。幼稚園は、ようちだ。」なんていう発想をすりこまれていく。だだをこねたり、床にねっころがっていると、「幼稚園にもどる?」なんて聞かれて、なんともはずかしような、答えにくい質問をされることになる。酷だ。愚かだ。そして、私も、同じ発言をしたことがある。

でも、おもしろいことに、私のクラスの子どもたちは、それをいやがらない。笑。彼らは口々に言う。「おれ、幼稚園の頃に戻りたい!だって、ずっと遊んでいられるもん。ストレスがたまることもなかった。みんなやさしかった。友達がたくさんいた。」

ずっと、ずっと、生きやすかった。楽しかった。自然で、無理をせず、スポンテニュアスで、世界は不思議にみちあふれ、夢があった。

私も、そうだった。小学生のころ、保育所に戻りたいって思ってた。あの頃。

ませていたから、恥をかくこともそれなりに覚えていたけど、それでも、今よりずっとスポンテニュアスだったあの頃に。枠やルールや、「社会的こころ」におびえていなかった頃。

大人になるってことは、こんなに不自由なこと?

野村さんたちアーティストのマジックにかかった子どもたちは混沌の世界に自然にとけこんでいた。それは、宇宙のはじまり。生命のはじまり。全てが、うまれる。そんな空間。特別な雰囲気で包み込まれ、どこかでだれかとつながり、刺激しあっている。ばらばらでありつつ、アンテナで相互受信をはかっている。

わたしは、そこに溶け込んでいなかった。それは、私が「教師」という立場を忘れられなかったからだと思う。自分を隔離していたのだ。

「子どものことをちゃんとみなきゃ!」っていう日々感じている焦り。「あの子はちゃんと活動に入れているかな?一人ぼっちになってないかな?」という心配。「アーティストの方は今何を思ってはるんやろ?何かしたほうがいいんかな?」という詮索。不安。「今の自分の働きかけはまずかったかな?」という自己評価。「うわあ、、、あんなことしてる。ええんかな~?とめたほうがいいの?いや、これは見守るべき?どうしたらいいの?ううん、自分では判断できひん。どうしよ。」というためらい、とまどい。うろたえ。そして、アーティストのとる行動ひとつひとつへの驚き、感激、戸惑い、ショック、感動。

新しいイコールがいくつも生まれ、見たこともない方程式が鮮やかに提示され、解かれていく。その様が見事で、私の持ち得ないイコールがいくつもいくつも子どもたちをつむぎ、子どもたちの可能性やアイデアや表現を引き出していった。

私にもできるはずで、でも、とらわれすぎて、見失ってできなかったこと。ダンスではしていたのに、自分の生活ではしているのに、キャンプリーダーのときはしていたのに、大学のときはしていたのに、担任を持って、クラスを任されてからは、臆病になってできなかったこと。

あ~、本当に奇跡的で、今まで見たこともない世界だった。そして、それは、本当に素晴らしかった。今まで感じた感動とはどれとも異なる感動だった。そして、今の私が感じる中で、最も素晴らしいものだった。

今日のコンサート。大成功。ああ、こうなるのだ!とわかった。最初から、最後までコンサートに関わり、子どもとアーティストを見つめ、わかったり、わからなかったり、気付いたり、見失ったり、ゆさぶられ、くつがえされ、ショックをうけ、見えてきたものがある。

私は思い出すだろう。

子どもを信じるってどういうことか。子どもを本当に信じるってどういうことか。子どもの可能性をひきだすってどういうことか。想像する、創造するってどういうことか。私は思い出すだろう。アーティストのみなさんの一人ひとりのかかわり方を思い出すだろう。思い出さないといけない。

糸井先生がおっしゃっていた。

「自分がひっかかったところ。そこが、大切なことを読み解く鍵になる。」

私には、この6日間、たくさんのひっかかりがあった。とまどい、うろたえ、ゆさぶられて。

そのひっかかりを、大切にしたい。自分の中で、受け入れがたいものほど、自分には必要な気づきや価値であること。それは、これまでの経験からわかっている。

身体が細胞分裂している感じ。何かを感じている。だからこそ、こんなに無心にコンピューターに向かって文章を書いている。

この出会いは、まさに“ですてぃにー”だったわけで。私が、京都府の教員になり、平盛小に勤務になり、4年生を担任することになり・・・そして、まわりには、アーティストとこどもたちをつなげていらっしゃる人々がたくさんいらっしゃった。

こうして、揺らぐことが、大切なの。ショックを与えてくださったアーティストのみなさんに、心から感謝だ。

子どもたちがアーティストと出会うことももちろんだけど、教師である私自身が出会い、変わることも、このエイジアスの活動において、かけがえのないことですよね、糸井先生。そのおっしゃる意味が、よくわかりました。

帰宅後、野村さんの本を読み、映像を見る。多分、しばらくは、野村マジックにかかっていそうだ。

それにしてもやっと、かかれたね、魔法に。最初のうちは、信じられなくて、ひっかかって、うたがってて、躊躇してたけど、いつのまにか、信じてて。

信じる人には、見えてくる。大切なものが、きっと。魔法なら、かかってみたい。夢なら見てみたい。

第3回目、ドリームコンサート。忘れられない一日でした。

アンコールのあいのてのテーマ曲が、感動的だった。泣きそうだった。あ、魔法にかかったなって、思った。
どうして、あんなに素敵な曲がうまれちゃうんだろう。奇跡だね。

ひとつのことを思い出そう、これから。

野村さんだったら、どうするかな?という問いかけを、思い出そう。そしたら、飛べない私にも小さな羽が生える気がする。

祈りにもにたメロディーを、心のどこかで鳴らしておこう。

子どもも私もありのままで、心地よくいられるように。

ありがとうございました。野村さん、林さん、じゅんさん、おびきさん、片岡さん、ウェインさん、つつみさん、そして糸井先生!

今夜は、なかなか眠れなさそうです。

揺れるワニ・バレリーナ2

(続き)

なのに、だ。

学校という場所で、教育という現場で、教師という仕事について。私は、自分らしさなんていえば、おおげさかもしれないけど、自分がこうしたいってこと、こうありたいってこと、心地よいと思うことをしていくことの難しさに直面した。

私は、ちゃらんぽらんだけど、ある部分、すごく真面目で、特に、批判や注意に弱い。

批判されると、「あ、ごめんなさい。直します。あ~、自分って最低なやつだ。消えてしまいたい。」とすぐに思っちゃう。ある意味、素直なんかな。騙されやすいとも言われる。だから、教師になりたての頃とかも、色んな先生から、いっぱい注意されて(今でもされるけど、まあ、半分くらいは聞き流してるかもしんない。)、それに、「あ~、ごめんなさい。」と思ってた。

で、そう思うのにも実は理由があって、自分のクラスが、「学級崩壊」するかもしれないっていう恐怖。不安。この心境が、言われたことを、鵜呑みにせざるを得ない状況に追い込んでいたと思う。

人が、宗教にすがる状況と似ているでしょ?

クラスがめちゃくちゃになって、子どももめちゃくちゃで、毎日、蜂の巣を叩きに行くようなのだ。教師いびりといっても過言ではない。

そんな状況にあって、保護者からの苦情も来て、授業もめちゃくちゃで、担当教官の前で恥をかき・・・。そういう状況にあると、自分のやりたいこととか、理想を描く力、伝える力はどんどん弱まって、言われたことや、自分を救ってくれそうなもの、安心なもの、安全なもの、保守的なものを選ぼうとする。

今でこそ、子どもと私の関係も悪くなくて、居心地もいいから、好き勝手なことも、自由にできるようになってきたけど、一時期の切羽詰った状況で、何か自分の方向性を見失ってしまっていたようだ。

また、大学時代に舞台を作っていたように、クリエイティブなことをしていないせいで、人と一緒に何かを作る中で学ぶことの価値をわかっていても、授業とか、子どもとの関係に活かしきれてない感があった。わかっていたはずなのに、見失っていたのだ。でも、確かに持っている。

それに気づいたのは、このワニバレエ ワークショップのおかげだった。

野村さんを初めとする音楽家の方方との出会いのおかげだった。

野村さん、私はまるでマジックにかかってしまったみたい。

究極だった。スペシャルだった。どこにもない。「宇宙ですてぃにー」だった。

でも、今日、こう素直に思えるまでには、涙の葛藤があったんだよね。誰にも言ってないけど。

やっと、糸井先生に今日放課後、この話をしているときは、泣きそうだった。

今日、学校に行く途中も、なぜだか泣けてきた。テンションが、ぎりぎりになってた。

しんどかった。。。楽しければ、楽しいだけ、しんどかった。身体的にじゃない。精神的に。

 野村さんがやっていることは、野村さんが、「音楽家」だから、「天才」だからできる部分もたくさんだけど、誰にでもできることもたくさんあるんだよね。ただ、恐れなければ。安全や安心を得ようとしなければ。ルールを守ろうとしなければ。無駄を省こうとしなければ。みんなで一緒にしようとしなければ。まとめようとしなければ。

でも、学校で、教室で、私はしたくなくても、せざるをえない状況にあった。

前にもブログで書いたけど、毎日、学級崩壊の危機と向かい合いながら、授業をしなければならないのだ。はっきりいって、こわいです。保護者からの苦情も怖い。先生方の目も怖い。でも、自分自身をごまかしているのが、これまたしんどい。でも、どうしようもない。子どもたちには、申し訳なくて、ああ、はやく、私なんかは教師を辞したほうがいい。そう思うこともしょっちゅうで、でも、他にやりたいこともそれほどなくて。

自分がやめて、教師を、他の人がやってるのを見たら、それもまた気が狂いそうだから、やってる。まだ、やりたいことはあるし。でも、自分の中で、矛盾していることを、保守のためにやっていることが、許せなくて、情けないけど、そうしなければ、やりたいこともやれない状況だから、やっているという感じ。

限界があるのだ。その限界という壁を、違う場所に窓を作ることで開き、風を吹かせているのが、糸井先生。

私はまだ、そこまで開き直れなくて、ぐじぐじと自分と向き合っている感じ。意味ないかもしんないけど、まあ、多分、若いっていうことゆえの悩みなんだろうと思う。これは、悶々ともち続けるほうがいいと思う。しんどいけど。多分。(「揺れるワニ・バレリーナ3へ」)

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