大変だった一週間が終わった。
4月からの1ヶ月で、一番の山場だったようにも思う。
特に、行事があったわけではない。
ただ、幾人もの子どもとの対峙があった。
彼らが壁にぶつかるときは、私が壁にぶつかるときと同じでもある。
そうした成長の瞬間、悩み、戸惑い、葛藤する現場にいられることは、実はすごく幸せなことだと思えたから、この一週間は、収穫が多かったのだろう。
そのうちの一つは「水着」のこと。プールが始まっているが、水着を着るのが恥ずかしいといって、プールを欠席したがる子どもがいる。保護者からも無理に入らせようとすることで苦情が入る。さて、どうする?
木曜日。プール当日。朝から保護者が来校。無理に入らせないでほしいと頼まれる。糸井先生から、個人指導ではなく、クラス全体で話し合ったほうがいいと言われ、悩んだ挙句、1時間目から学級会。
正直な胸の内を話す。「先生は、どうしていいかわからない。みんなの知恵を貸してほしい。」
まず、「水着を着るのが嫌な人?」と尋ねる。半数くらいの子が手を挙げた。
理由は様々。体のことを気にしていたり、スクール水着はかっこ悪いから、という理由だったり。
次に、「じゃあ、水着を着るのが嫌だから、という理由でプールを見学することは許していいか?」と尋ねる。
1人をのぞく、全員が、それは許してはいけないと答える。理由は、授業をさぼることと一緒だから、それを許すと、ほとんどの人が見学をすることになるから、などの意見が出る。
次に、「じゃあ、どうしても、水着を着るのが嫌な人(Aさん)に、どんな声かけをしてあげる?また、水着が嫌でも、プールを休んでない人達は、どんなふうにして気持ちを切り替えているのか教えてほしい。それに、水着のこととは関係なくても、自分自身、コンプレックスってあるよね。そのことにおきかえて考えてみてもいいよ。」
そう言って、思っていることを書かせる。
真剣にペンを走らせる子ども達。ここまでで、1時間目終了。
2、3時間目は読み書き計算と国語のテスト。子ども達が漢字練習や、国語のテストをしている間、私は黙々とパソコンに子ども達が先ほど書いた文章を打ち込む。
そして、4時間目、できたての学級通信を配布し、一人ひとりの思いを読み上げる。
誰も声を出さない。私の読み上げる声だけが聞こえる。精一杯感情を入れて読む。一人ひとりの思いが伝わるように読む。その子になりきるような気持ちで読む。
子ども達はどんなことを感じているだろう、と思いつつ、読み上げた。
終わってからは、少し、フリートークのような感じで、私自身のコンプレックスを語ったり、芥川龍之介の「鼻」の話をしたり、みんなの意見を読んで思ったことを発表したりしていった。
「みんなにコンプレックスがあるんだなってことがわかった」
「みんなそのままの自分でいい」
「悩んでてもしょうがないから、行動することが大事」
少しだけ、お互いの弱い部分、見せたくない部分を見せ合ったあとの、気恥ずかしいけど、安心できるような、ほんの少し、自分にも、他者にも優しくなれるような空気があった。
4時間目は、ほぼ終わりにさしかかっていた。
「先生、ゲームしよう!」
いつもの言葉。これを言うのは、きまって男の子なんだが、今日は、女の達まで言い出す。「先生、しよしよ~」でも、わかる。そうやって、お互いのことを知って、ちょっと距離が近づいた今の雰囲気だからこそ、みんなで遊びたくなるんだ。いいよ、遊ぼう、遊ぼう!
そして、定番のサイレント・ボール。
机の上に座って、言葉をつかわずに、アイコンタクトでボールをまわしていく。シンプルだが、奥深いゲームだと思っている。
5,6時間目は、体調不良の子以外、全員、プールに入ることができた!万歳!!光化学スモッグ注意報のせいで、たったの20分のプール時間だったが、全回より、ずっとずっと気持ちのいいプールだった。
その日、みんなで読みあった学級通信を載せておきます。以下のURLから開けば、ワードで読むことができますので、よかったら。
http://groups.google.com/group/shina-re-le/files?hl=ja
学級通信は、何人かの先生に毎回配っている。
金曜の放課後、笠井先生がその学級通信を手に、話しかけてくれた。
「先生、読ませてもらいましたよ。大変でしたね。高学年らしい悩みというか・・・。でもね、これは“水着”どうこうの問題じゃない。“コンプレックス”の問題だ。クラスが前進した・しなかったに関わらず、とてもいい学習をしましたね。」と言ってくださった。
そうか~。人から言われて、改めて、そうなんだな~と実感。
本当に大変で、苦情もあって、もう嫌~~って感じだったけど、その子が壁にぶつかったおかげで、みんなでここまで考えることができたっていうのは、収穫だったんだろうなあ。ピンチはチャンスというけれど、まさしく、って感じ。そういう意味で、私は、その子に感謝しないといけないなあ。
悩んで、悩んで成長する。それが、思春期だなって思う。子どもの頃は、また、大人になったらどうでもいいようなことが、気になってしまったり、悩んでしまったりする思春期の時期。葛藤があり、コンプレックスがあり、自分のことが嫌いで、人と比べてばかりいる。そんな時期。でも、悩み、友達に相談して、聞きあい、感じあう中で、感化され、壁を乗り越えていく。
そうやって、立ち止まっていくことが、やっぱり大切なのだと、感じる。
私自身、今でも、思春期をひきずっているような人間だ。だからこそ、「教師」という職業を選んだのかもしれない。もっともっと、人間的に成長したい、人の中でもまれたい、と願い、人とぶつかりあう教育現場に足を踏み入れたのだ。
私も、今回、初めて自分のコンプレックスを子ども達に語った。
「先生も?」「これ、先生のこと?」そうやって、驚いたように、でも、安心したように、また、神妙な顔つきで話を聞く子ども達の姿があった。
4月以来、私は、常に、「6年」の担任であることに、どこかしら申し訳ない気持ちを持っていた。それは、まだ教員になって2年目で、経験もないのに、「6年生」を受け持つことが、後ろめたい気持ち。それから、まわりのベテランの先生方なら、もっと子ども達をいきいきと指導させはるだろうに・・・という負い目。
もちろん、それは、1年間私が背負っていく思いなわけだ。でも、一つ、自分にしかできないことを今回、確認できた。
それは、私が、若いっていうこと。その若さとは、ただ年齢が低いということよりも、私自身が本当に、未熟で、まだ思春期の頃のどろどろとした戸惑いや葛藤やコンプレックスを抱きつつ、生きているということだった。それが、彼らとつながる私の鍵であり、私が、6年の担任であってもいい、と少しだけ自分に自身を持てる要素なのだ。
授業の中で、「自分のことが嫌いな人?」と聞くと、半分以上の子が手を挙げた。
「先生も、同じだよ。」そう言って、自分のことを語った。
中学生の頃、同じようにして、クラスの仲間と語り合い、弱さを出し合い、ぶつかりあっていく中で、信じられないくらい強固なつながりのある集団が生まれたことがあった。
そのクラスのメンバーとは、今でも毎年のように同窓会をしている。
私の時計は、あの時で止まっている。
いいのだ。
私は、あのとき、教師になろうってきめたのだから。
泥だらけで、涙でぐしゃぐしゃで、汗まみれだった。
そうやって、共に生きることが、どれほど感動し、強いつながりを生み、人を愛する力となるかを、身をもって知った時だった。
「優等生になることを拒否しつつ、劣等感を持たずに自信を持って生きる」
これは、その、中学3年の時の担任の池辺俊彰先生が卒業のときに送ってくださった言葉だ。
今、その言葉の重みが再び染み入ってくる。
それは、教師だった先生が、常に心に留めておられた言葉だったのだろう。
自分のことを、常に「貧しき教師」と呼んでいた。
考えてみれば、私の話す言葉の根底には、池辺先生から学んだ思想が脈々と流れているんだった。
私は、劣等感を持ってばかりだけど、その劣等感を持てることを自信にして、やっていきます。
あと夏休みまで3週間!
目の前の子どもから出発する。問題を教材にしてクラスのみんな共通の財産にしていく。一人ひとりの思いを語り合う。
そして、クラスのみんなをつなげるために、子どもに書かせ、私も書く。
そうやって、クラスを、集団を、作っていけばいいんだ。私らしく、やっていける、唯一の方法。今のところ。
まだまだ梅雨ですが、私の心には、もう晴れ間がのぞいています。
夏は、池辺先生に会いにいこうっと!
平成10年度峰中3年2組卒業のみんな、今日、同窓会の案内、送ったしな~~!8月14日は藤原家の庭に集合ですよ!