2007年06月

優等生になることを拒否しつつ、劣等感を持たずに、自信を持って生きる


 大変だった一週間が終わった。

 4月からの1ヶ月で、一番の山場だったようにも思う。

 特に、行事があったわけではない。

 ただ、幾人もの子どもとの対峙があった。

 彼らが壁にぶつかるときは、私が壁にぶつかるときと同じでもある。

 そうした成長の瞬間、悩み、戸惑い、葛藤する現場にいられることは、実はすごく幸せなことだと思えたから、この一週間は、収穫が多かったのだろう。

 そのうちの一つは「水着」のこと。プールが始まっているが、水着を着るのが恥ずかしいといって、プールを欠席したがる子どもがいる。保護者からも無理に入らせようとすることで苦情が入る。さて、どうする?

 木曜日。プール当日。朝から保護者が来校。無理に入らせないでほしいと頼まれる。糸井先生から、個人指導ではなく、クラス全体で話し合ったほうがいいと言われ、悩んだ挙句、1時間目から学級会。

 正直な胸の内を話す。「先生は、どうしていいかわからない。みんなの知恵を貸してほしい。」 

 まず、「水着を着るのが嫌な人?」と尋ねる。半数くらいの子が手を挙げた。

 理由は様々。体のことを気にしていたり、スクール水着はかっこ悪いから、という理由だったり。

 次に、「じゃあ、水着を着るのが嫌だから、という理由でプールを見学することは許していいか?」と尋ねる。

 1人をのぞく、全員が、それは許してはいけないと答える。理由は、授業をさぼることと一緒だから、それを許すと、ほとんどの人が見学をすることになるから、などの意見が出る。

 次に、「じゃあ、どうしても、水着を着るのが嫌な人(Aさん)に、どんな声かけをしてあげる?また、水着が嫌でも、プールを休んでない人達は、どんなふうにして気持ちを切り替えているのか教えてほしい。それに、水着のこととは関係なくても、自分自身、コンプレックスってあるよね。そのことにおきかえて考えてみてもいいよ。」

 そう言って、思っていることを書かせる。

 真剣にペンを走らせる子ども達。ここまでで、1時間目終了。

 2、3時間目は読み書き計算と国語のテスト。子ども達が漢字練習や、国語のテストをしている間、私は黙々とパソコンに子ども達が先ほど書いた文章を打ち込む。

 そして、4時間目、できたての学級通信を配布し、一人ひとりの思いを読み上げる。

 誰も声を出さない。私の読み上げる声だけが聞こえる。精一杯感情を入れて読む。一人ひとりの思いが伝わるように読む。その子になりきるような気持ちで読む。

 子ども達はどんなことを感じているだろう、と思いつつ、読み上げた。

 終わってからは、少し、フリートークのような感じで、私自身のコンプレックスを語ったり、芥川龍之介の「鼻」の話をしたり、みんなの意見を読んで思ったことを発表したりしていった。

 「みんなにコンプレックスがあるんだなってことがわかった」

 「みんなそのままの自分でいい」

 「悩んでてもしょうがないから、行動することが大事」

 少しだけ、お互いの弱い部分、見せたくない部分を見せ合ったあとの、気恥ずかしいけど、安心できるような、ほんの少し、自分にも、他者にも優しくなれるような空気があった。

 4時間目は、ほぼ終わりにさしかかっていた。

 「先生、ゲームしよう!」

 いつもの言葉。これを言うのは、きまって男の子なんだが、今日は、女の達まで言い出す。「先生、しよしよ~」でも、わかる。そうやって、お互いのことを知って、ちょっと距離が近づいた今の雰囲気だからこそ、みんなで遊びたくなるんだ。いいよ、遊ぼう、遊ぼう!

 そして、定番のサイレント・ボール。

 机の上に座って、言葉をつかわずに、アイコンタクトでボールをまわしていく。シンプルだが、奥深いゲームだと思っている。

 5,6時間目は、体調不良の子以外、全員、プールに入ることができた!万歳!!光化学スモッグ注意報のせいで、たったの20分のプール時間だったが、全回より、ずっとずっと気持ちのいいプールだった。

 その日、みんなで読みあった学級通信を載せておきます。以下のURLから開けば、ワードで読むことができますので、よかったら。 

http://groups.google.com/group/shina-re-le/files?hl=ja
 学級通信は、何人かの先生に毎回配っている。

 金曜の放課後、笠井先生がその学級通信を手に、話しかけてくれた。

 「先生、読ませてもらいましたよ。大変でしたね。高学年らしい悩みというか・・・。でもね、これは“水着”どうこうの問題じゃない。“コンプレックス”の問題だ。クラスが前進した・しなかったに関わらず、とてもいい学習をしましたね。」と言ってくださった。

 そうか~。人から言われて、改めて、そうなんだな~と実感。

 本当に大変で、苦情もあって、もう嫌~~って感じだったけど、その子が壁にぶつかったおかげで、みんなでここまで考えることができたっていうのは、収穫だったんだろうなあ。ピンチはチャンスというけれど、まさしく、って感じ。そういう意味で、私は、その子に感謝しないといけないなあ。

 悩んで、悩んで成長する。それが、思春期だなって思う。子どもの頃は、また、大人になったらどうでもいいようなことが、気になってしまったり、悩んでしまったりする思春期の時期。葛藤があり、コンプレックスがあり、自分のことが嫌いで、人と比べてばかりいる。そんな時期。でも、悩み、友達に相談して、聞きあい、感じあう中で、感化され、壁を乗り越えていく。

 そうやって、立ち止まっていくことが、やっぱり大切なのだと、感じる。

 私自身、今でも、思春期をひきずっているような人間だ。だからこそ、「教師」という職業を選んだのかもしれない。もっともっと、人間的に成長したい、人の中でもまれたい、と願い、人とぶつかりあう教育現場に足を踏み入れたのだ。

 私も、今回、初めて自分のコンプレックスを子ども達に語った。

 「先生も?」「これ、先生のこと?」そうやって、驚いたように、でも、安心したように、また、神妙な顔つきで話を聞く子ども達の姿があった。

 4月以来、私は、常に、「6年」の担任であることに、どこかしら申し訳ない気持ちを持っていた。それは、まだ教員になって2年目で、経験もないのに、「6年生」を受け持つことが、後ろめたい気持ち。それから、まわりのベテランの先生方なら、もっと子ども達をいきいきと指導させはるだろうに・・・という負い目。

 もちろん、それは、1年間私が背負っていく思いなわけだ。でも、一つ、自分にしかできないことを今回、確認できた。

 それは、私が、若いっていうこと。その若さとは、ただ年齢が低いということよりも、私自身が本当に、未熟で、まだ思春期の頃のどろどろとした戸惑いや葛藤やコンプレックスを抱きつつ、生きているということだった。それが、彼らとつながる私の鍵であり、私が、6年の担任であってもいい、と少しだけ自分に自身を持てる要素なのだ。

 授業の中で、「自分のことが嫌いな人?」と聞くと、半分以上の子が手を挙げた。

 「先生も、同じだよ。」そう言って、自分のことを語った。

 中学生の頃、同じようにして、クラスの仲間と語り合い、弱さを出し合い、ぶつかりあっていく中で、信じられないくらい強固なつながりのある集団が生まれたことがあった。

 そのクラスのメンバーとは、今でも毎年のように同窓会をしている。

 私の時計は、あの時で止まっている。

 いいのだ。

 私は、あのとき、教師になろうってきめたのだから。

 泥だらけで、涙でぐしゃぐしゃで、汗まみれだった。

 そうやって、共に生きることが、どれほど感動し、強いつながりを生み、人を愛する力となるかを、身をもって知った時だった。

  「優等生になることを拒否しつつ、劣等感を持たずに自信を持って生きる」
 
 これは、その、中学3年の時の担任の池辺俊彰先生が卒業のときに送ってくださった言葉だ。

 今、その言葉の重みが再び染み入ってくる。

 それは、教師だった先生が、常に心に留めておられた言葉だったのだろう。

 自分のことを、常に「貧しき教師」と呼んでいた。

 考えてみれば、私の話す言葉の根底には、池辺先生から学んだ思想が脈々と流れているんだった。

 私は、劣等感を持ってばかりだけど、その劣等感を持てることを自信にして、やっていきます。

 あと夏休みまで3週間!

 目の前の子どもから出発する。問題を教材にしてクラスのみんな共通の財産にしていく。一人ひとりの思いを語り合う。

 そして、クラスのみんなをつなげるために、子どもに書かせ、私も書く。

 そうやって、クラスを、集団を、作っていけばいいんだ。私らしく、やっていける、唯一の方法。今のところ。



 まだまだ梅雨ですが、私の心には、もう晴れ間がのぞいています。

 夏は、池辺先生に会いにいこうっと!

 平成10年度峰中3年2組卒業のみんな、今日、同窓会の案内、送ったしな~~!8月14日は藤原家の庭に集合ですよ!

 

私を束ねないで

 新川和江さんの「私を束ねないで」という詩の題名を読んで、それはそれは感激した。
 
 題名だけで満足だった。詩の内容は、それほど心を打たなかった。

 それは、私は、私なりの「私を束ねないで」という詩を既に持っていたから。

 

 「私を正しく理解してよ」

 ずっと、そう願っていた。

 小学校の高学年くらいになると、それはそれは強く願っていた。

 「嫌いな人」のコーナーには、「人のことを決め付ける人」と書いた。

 私のことを語らないで。

 私のことを決め付けないで。

 私は、誰のものでもない。

 私は、あなたの思っているような人間じゃない。

 プライドが高いのかな。

 許せなかった。

 自分が誤解されること。

 自分に納得のいかないフレームが押し当てられること。

 

 でも、

 私は、他者に対して、同じような行為をしているのであって、

 そんな自分に気づいたとき、
 
 私は、消えてしまいたくなる。
 
 行き場がない。

 結局は、日々の葛藤、数々の試練、そのほとんど、いや、全ては、
 
 私が、私に対して、つきつけている課題なのだ。

 子どものせいでもない。職場の先生のせいでもない。友達のせいでもない。

 私の敵は、私。

 私の味方も私。

 正しく理解されたいと、苦しいくらい願い続けているのに、

 私は、理解者を求めない。

 いや、こうやって、文章に書くことは、求めていることなんだろうけど、

 手に入ったとたんに、そうした自分が許せなくなるような。

 誰にもわかってもらえなくてもいい、自分の信じる道をいく。

 そう、決意した思春期の自分が、ずっと生き続けていて、

 プライドを保とうとしている。

 誰も、私を束ねてなんていないのに、自分自身でしがらみを作っている。

 「こう見られたい」「こう見られてるんじゃないか」「こう見られたくない」

 私の中で、別の私が、常におしゃべりをする。

 私は、一生、私らしくなんて生きられない。

 そう思うことが、唯一の私らしさかもしれない。

 大人になりきらんわ。

 なりたくもないけど。

 だから、やっぱり、もう、私は、教師という職業には向かない。

 間違えていた、職場を。

 と思いつつ、仕事をしているってことを、

 子どもにわかってもらえたら、もうちょっと楽なんかもしれんけど。

 そんなわけはなくて。

 世の中の定義が全部変わってしまえばいいのに。

 子どもに聞かれる。

 「先生はなんで教師になったん?」


 何度も聞かれる。でも、一度として、きちんと返答できたことはない。

 教員採用試験の面接じゃないねんで。

 答えがないねん。

 すぱっといいきれるような答えがない。いや、嘘。ある。あるけど、言えない。自信がなくて言えない。

 本音は、「人が好きだから。人をきらきらさせる、子どもをきらきらさせる、仕事をしたいから」率直に言えば、こんなかんじなんだろう。

 でも、それを子どもには言えない。自分が、子どもをきらきらしているなんていう自信は、これっぽっちもない。

 「え~??先生、あかんやん。」って言われそうだ。もっと、きらきらさせてよっていう子どもからのメッセージが聞こえてくるから。

 だから、いつもはぐらかしてる。

 いつか、いつか、自信を持って、

 「君達を輝かせる仕事がしたいからだよ」っていいたい。自信を持っていいたい。

 でも、きっと、一生自信なんてつかんのやろうなあ。

 一生、自分の力の無さを嘆いて、いるんやろうなあ。

 私なんかが、教師やってええんやろかって思いながら、

 続けるんやろか。

 それも、罪なことだ。

 三浦綾子さんのように、去りたい。

 

 でも、それでも、まわりのすばらしい先生達がいるから、ほんの少しの希望を持って、もうちょっと、やってみるかなってやってみる。

 ご心配おかけしたらごめんなさい。でも、毎日こんな感じなので、これが、普通だとご理解ください。

 本当に、私のための日記なのです。

 今、こうして泣きながら日記を書き終えたことで、気持ちをおさめているのです。

 

私の私による私のための日記。


二兎追うものは、一兎をも得ず。

 そのとおりかもしれない。

 それでも、ふたつの家を用意しておく。

 手に入れることの向こう側には失うことが待っている。

 夢を見ているときは、これは、夢なんだ、と言い聞かせる。

 できるだけ、絶望しない振りをする。

 強がってみせる。

 本当は、自分が傷つきたくないから?

 自分で自分を納得させるように。誰も見ていないのに、繕い続ける。

 それが、私なんだと、言い聞かせながら、つぶやきながら歩く夜道。

 何かが起こるかもしれない。

 何も起こらないかもしれない。

 どちらにしても、帰るところがある。

 そんな家。

 かっこ悪いところも見せられそうで。

 話すことは苦手だ。

 思ってることの3分の1も言えない。

 書くことは、無責任でいい。

 私は、私のために書くだけだから。

 誰のためのものでもない、私のための日記。

 それでも、ネットで公開することには意味があって。

 “表現すること”

 私が、私のために、つむぐ言葉を、誰かの目にふれるという緊張が深める。

 自分をより見つめるために、ブログに文章を書く。

 

 毎日、テンションは、メーターふりきり、アップダウンが激しい。

 一喜一憂。

 子どもの一言、一言に。行動のひとつ、ひとつに。

 過敏すぎるのか??いや、適当な性格なんだけど。

 でも、やっぱり、色んなことに、目がつきすぎて、それを反省して、見てみぬふりもする。

 「人間はなぜまばたきをするか、知っていますか?・・・時には、人の過ちに目をつむってやるためですよ。」

 まだまだ、修行が足りないなあ~。

 星の王子さまの言葉を思い出してさ。

 「かんじんなことは、心でみなきゃよく見えない」・・・見えないんだから。

 子どもを見る目を養いたい!

 勘違いだらけ、後悔だらけの自分を救うため。

 「懺悔」という行為をできずに、落ちていく自分。

 書くこと、吐き出すことによって、少しは救われるのに。

 最近は、眠りで忘れようとしている。

 こんなに、書くと、「キューピー大丈夫?」って感じだけど、まったく、オーライ。

 

 「ほんわか」とした質の高い空気。

 そんな空気をはやく吸いたいな~!子ども達と一緒に。

 1年間、私達は、呼吸する。

 そして、互いの身体、互いの細胞に、同じ空気を取り込み続ける。

 私達の身体は、同一の成分を含み、熱を発するだろう。

 ある程度の湿り気と、温度。心地よい、あったかい雰囲気。

 去年の4年2組は、ぐちゃぐちゃだったけど、ある時期から、その空気が流れ出した。

 その感覚が、身体に残っている。

 自身が、中学3年の時のクラスでも、同質の空気を感じた。

 6年2組は、まだだな。

 化学変化を繰り返しながら、ゆっくりじっくりね。。。

 

 前回の日記の学級通信で、色々反響をもらいました。なんだか、ご心配をかけてしまったり・・・。

 子ども達は、私のボールをしっかりキャッチしてくれたし、クラスは、スパイラルな線を描き、進んでいる。

 平田オリザさんの授業では、はい、爆発しておりました。平盛祭りでも。

 いいんだと思う。

 お行儀よくなくて、むちゃくちゃで。

 そういう、爆発的なエクスプレッション。
 
 わけのわからないパワー。

 それが、子ども達の魅力だしね。

 私の理解を超えたところで、楽しんでほしいわ。

 見たこともないようなものは、そうやって姿を現すんだろう。

 でも、人を傷つけるのはやめたいね。

 人の努力をふみにじるのはやめたいね。

 教師であることをやめたい瞬間がある。

 藤原由香里はオッケーなのに、

 藤原先生はノーを出さないといけない。

 私は、教師を演じていけるんかな~。

 ・・・なんて、若いときの思い過ごしや~ん、なんて思えるような授業や、集団づくりができるようになる日が来るかな?来るといいな~!

 最近、いい具合に月明かりが入る部屋で眠りにつく。夜の風がひんやりと気持ちよくて。夏の匂いと蛙の声。

 世界って、やっぱり素敵ね。


 
 
  

戦いを挑む・・・学級通信。

ん~~~~~。という日常だ。戦いの日々である。

 戦いの火蓋は、私の「ちょっと待った」発言によって落とされる。

「今のはありえんやろ?」

 言動、行動。見過ごせない、許せないことには、待ったをかけるしかない。勝負に出るなら勝たねばならぬ。まあ、何度でも、繰り返し、しつこく、したたかに挑み続けるしかないです。

 君達の力は、こんなものじゃないやろ?

 糸井先生がおっしゃいました。1学期は、クラスがどこまでいけるか、いけるところまで突き進む時期だと。

 ここからスタートです。

 明日は、この学級通信を読み上げて、勝負です。まずは、心を変える!行動を変えるための第一歩ということで。

 以下、うちのクラスの学級通信です。小学校ってこんなんです。

_________________________________



火曜日は、「劇団衛星」の方が、演劇のゲームを使った授業をしてくださった。水曜日は、京都文教大の学生さん達が、エチオピアと日本の比較研究のために、アンケートやインタビューに来られた。

 外部から来られた方との関わりの中で、「ちょっと待った」と、ストップをかけないといけないことや、「それは、失礼なんじゃない?」ということが起こる。

 ふざける。ゲームの途中に、「死ね」「あほ」「殺す」などの暴言をはく。授業に関係のないゲームをして自分達だけで盛り上がっている。バカ笑いをする。野次を飛ばす。なかなか言葉が言えない人を責める。自分達の思い通りにいかないと、文句を言う。・・・これは、主に男子の一部。

 やる気がみられない。消極的。できるだけ、ゲームに参加しないようにしようとする。「やらされている」という感覚。・・・これは主に女子と男子の一部。

 たしかに、男子が、ゲームで盛り上がるのはわかる。また、男子のユーモアと、思い切りのよい表現が、ゲームには必要だ。しかし・・・行き過ぎている。限度を知らない。マナーを知らない。

 また、女子が、表現することがはずかしかったり、苦手だったりするのはわかる。先生もそうだったから。でも、それは、授業のじゃまをするのと同じくらい、失礼な態度だということに、気づいているだろうか?

 一人ひとりは、すばらしい才能の持ち主であるのに、それを、どうして、みんなでつぶしていくのだ?そして、どうして、それを「おかしい」という声が出ない?男子も、女子も。

ゲームの最中、「おもんない」という人がいた。劇団の人が、一生けんめいゲームをしてくれているのに・・・。

 おもんなくしてるのは、あなたじゃないのか?一度、自分自身をうたがってほしい。君達が、たてわり班で、ゲームをしたとき、「おもんない」といわれたり、参加を拒否するような態度をとられたら、どんな気持ちになるだろうか?想像がつくはずである。


●エチオピアの学習。学生さん達は、みんなにインタビューをする内容を一生けん命考えてこられた。

 なぜ、その真剣さに、真剣で答えない?君達は、日本の小学生を代表しているんだぞ。

 先生は、昨日、怒った。

 「エチオピアの色は何色のイメージ?」と聞かれたときに、「赤」と答え、その理由を「人を殺したときの、血の色」というような内容を言ったからだ。

 心から考えて、真剣に答えた内容だと思えるか?

 学生さん達は、君達の答えを、エチオピアの人に伝えないといけないんだぞ。

 「あなたの国の色のイメージは、人を殺した血の色のイメージです。」などと、だれがいえる?そもそも、「殺す」という言葉の重み、その言葉が発する、いやなイメージを、君達は知っているはずだ。

 そういう発想自体が、かなしいし、もし、本当にそう思ったとしても、それを声に出して伝えるべきか、そっと自分の心にしまっておくべきか、もう判断できる年齢なんじゃないか?

 先生は、君達のことを1年かけて、育てるのが仕事だ。

 だから、何度でも言う。しつこく注意する。おかしいことはおかしいという。君達を社会に送り出すために。君達が、人世を生きぬくのに、必要な力をつけるために。それが、先生の仕事だから。君達のいいかげんな行動を、だまって許すことはできない。

 でも、本当は、あんまり言いたくない。できれば、1度言ったら、聞いてほしい。注意するのは、すっごくイヤで、疲れることなのだ。ストレスのたまることなのだ。

 最近は、注意したり、怒ったりすることが多くて、本当につかれる。毎日、いやな気持ちで、学校を出る。

 反対に、平盛祭りで、みんながいきいきと準備をしている姿を見たり、自分から何をすべきか考えて行動したり、声かけあって、協力して活動している姿を見ると、元気になるし、先生のできることをもっとしたいな、と思える。朝読書が先生がいなくてもしっかりできていたら、とても気持ちよく1日のスタートが切れるし、給食当番や日直が、役割をきちんと果たしていれば、とても安心する。

 さあ、これから、6年2組をどうしていく?

 課題が、見えてきただろうか?

 なんで俺だけ?なんで男子だけ?なんで女子だけ?

 そう思ってる?

 まずは、自分の課題を見つめること。それが第一歩。

 一人、ひとり考えてほしい。そして、一人ひとりの成長とクラスの成長のために、行動してほしい。

 ゲームも行事の取り組みもいっしょ。

ふざけてやったら力はつかない。みんなで楽しむときには、みんなで楽しむためのルールとマナーがあるってこと。

 友達同士でふざけあうのと、集団で学ぶのを、いっしょにしない。
 
 そして、活動に参加しないでおこうとする消極的な人達。

 それも、みんなのムードをしらけさせる。 「みんなでやろう!」というふんい気がなくては、ゲームなんてつまらないよ。空気を悪くしないで。

 以上が、6年2組の課題である。

 この大きな課題を克服しないと、君達は、これ以上、成長することはできないだろう。

 「壁にぶちあたる」というのは、何か、困難なことに直面したことを表す言葉だ。しかし、「壁」を意識できた人は、もう、半分以上、解決していると思ってよい。

 なぜなら、まず、自分の課題に気づくことが、最も大切で、最も難しいことだからだ。

 自分の課題に気づくことができたら、次は、それを克服するための方法を考えればいい。

 自分の課題に目をそむけ、気づかないのでは、いつまでたっても変わらない。

 まずは、自分達の課題、弱点に気づき、立ち止まって、考えてみること。そこから、そこからなら、いくらでもふみだせる。

 「ええやんか」「いちいちうっさいなあ。」そうやって、人から注意されることを無視して、自分の課題から逃げてしまうような、弱い人間にはなってほしくない。「ええやん」「ええやん」と、その場限りの楽しさで、絶好の学びの場を、むだなものにしてほしくない。

 金曜日、また文教大の学生さん達が来られる。来週の火曜日は、平田オリザさんや劇団衛星の方、そして、全国各地から、たくさんの方が、君達の授業を観に来られる。

 日本で、ほとんどの小学生は、どんなに受けたくても受けられないような、おもしろくて、価値のある授業を君達は、受けることができる。
 しかし、どんなに劇団の人が頑張っても、先生が頑張っても、君達の行動、言動ひとつで、台無しになる。

 「そんなんおもんないし。」「やりたくない。」

 自分勝手な、その場の感情で言葉をはく前に、一度、頭で考えてごらん。

 あなたの一言が、まわりの人をどんな気分にさせるかを。
 あなたが知らないところで、どれだけたくさんの人が、あなたのために、時間とお金と労力をかけているかを。

 おもしろくなくしてるのは、君なんじゃないのか? 

 もう一度、自分に問いかけてみて。

 そして、クラスのみんなに、問いかけてみて。

 みんなで、声かけあって、マナーやルールを守って、何でも楽しめるクラスに、していかへん?

旅に想う

 
 6月8・9日は、修学旅行でした。伊勢方面に一泊二日。

 旅は、準備期間が一番楽しいといいます。自分が小さかった頃を思い出しても、旅の準備のときは、いろんな想像をめぐらせて、わくわくしながら、新しい服を買ってもらったり、荷物をつめこんだりした記憶があります。

 旅の道中も、またいいものです。

 どこか遠くに連れて行ってくれる電車やバスの景色が、どこか感傷的にさせるからです。

 乗り物の中で聴く音楽は、特別な思いが閉じこめられたり、引き出されたりする気がします。

 目的地につくと、二通りの感情がわきます。

 「なんだ、こんなものか。」という、予想外の落胆。
 
 「え~?こんなのあり?」っていう予想を裏切る感動。

 今回の修学旅行の目玉の、スペイン村。子ども達にとって、ジェットコースター「ピレネー」は、後者だったようです。

 「想像以上だ~」と、驚きと戸惑いを隠せない様子でした。

 それでも、何度も挑戦する彼ら。

 私は、結局ピレネーには、乗れず。下見では乗ったのですが・・・。もうひとつのジェットコースターや、ブランコで、叫びすぎて、ふらふら。無理です。ああいう、絶叫マシンは。

 一緒に食事をし、風呂に入り、寝る。こんな単純なことが、楽しくて、嬉しくて。日々の営みが、格別に感じられる、それも旅の魅力です。

 「歯磨き」「整理整頓」も、普段より、念入りにしてしまう。

 きちんと整理された、こぎれいな空間に身をおくことが、心も身体も、しゃんとさせる。

 そうして、自分にリセットをかけるもの、心地よい。

 人間の変わりたい願望を旅はかなえてくれるように思える。

 だから、みんな何かを求めて、旅に出るのだな~。

 それでも、旅は、かえってくるために、するものだ、と気づいたのは、いつのころかしら。

 旅先で、遠くに来てしまったとき、意識するのは、故郷です。これまでの自分と、自分の人生。

 今回、子ども達に向けて、保護者一人ひとりから手紙をいただいていました。
 
 夜、一人ひとりに手紙を手渡します。

 涙ながらに親からの手紙を読む子ども達の姿がありました。

 今までとは、違った景色が見える。

 旅行という非日常が、忘れかけていた日常の大切なことをくっきりと浮き立たせる。
 
 旅に出ると、私は、内省の時間がいつもより多くなります。

 旅に出ることで、何かしらの答えを得ようとする自分。答えを求めている自分に気づきます。

 しかし、いつだって、旅は答えをくれないのです。

 生きることも、きっとそうで。

 生きる意味とか、考えながら、過ごすのだけど、なかなか見つからない。
 
 でも、考え続けることが、きっと価値のあることなのだと。

 旅に出ることで、自分自身に向き合おうとすることが、大切なこと。

 そうする中で、日常に埋没している感情や、景色が見えてくれば、おのずと、帰るべき場所がわかる。

 旅に出て、道に迷うんじゃない。
 
 道に迷うから、旅に出る。

 目的地を見失うのは、まぎれもない、日常での出来事。

 色々、考えさせられる旅行でした。

 考えすぎて、ダウン。う~ん。自分にリセット、かけられない。

 この前、音楽についての随想と書いたところ、ちょもさんとせいきからコメントあり。

 音楽は、忘れてはならない、大切なことを、かわりに覚えておいてくれるのだそう。。。なるほど。。。しっくりとくるわ。


 キセルを流していたら、去年の秋の記憶が、流れ出てきました。

 どこかへ、行きたがる体。

 彷徨っている心。

 

 タイミングを見計らっている。こういうところが、したたか、といわれる由縁なのでしょう。

 でも、タイミング悪いんです。

 ずっと話し続けている、自分に。

 そろそろ独り言も疲れてきたような。

 

 「紅の豚」のジーナがすき。歌う歌も好き。

 どうして、こんなに懐かしいんだろう。帰るべき場所のヒントが、隠れているのかな。

 
livedoor プロフィール
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ