2007年08月

ハンパに成長してきた


 8月31日。久しぶりに、外に出て肌寒いと感じた。夕暮れの空も、なんだか秋の訪れを感じさせる。

 色んな意味で、夏が終わってゆく。そうして私は毎年のようにささやかに歳を重ねる。

 

 それは、夏の始まりの頃だった。

 ipod shuffleの中から、マーシーが歌いだした。チェインギャング。

 気づいたら、電車の中でぐしゃぐしゃに泣いていた。

 誰もがたどり着かない心の奥底に入り込み、一緒に呼吸し、揺れ動いてくれる。

 音楽と言葉は、いつの頃からか、私の大切な友達。



 傷つくことが怖くて、安全な道を歩もうとする臆病な自分。

 謙虚に振舞いつつ、自分の出番を計算しているしたたかな自分。

 か弱く見られることが嫌で、強がりを装っていた自分。

 そうやって自分を偽る中で、「感じる」ことさえも忘れてしまった自分。

 キリストを殺したのは、私だと思った。

 

 
 本当に孤独だなぁ、私って、と思う。孤独だからこそ、こんなにも多くの会話を、私の中の私と毎日交わすんだろう。

人は、私のことを評価したり、私にはわからないところで、色々思ってたりするし、本当のことなど言えば、何を思われるかわからない、どう見られるかわからない、って思うから、本当のことなど、言えるはずもない。

 臆病で、警戒心が強くて、おまけにプライドが高いから、自分のまわりに壁を張り巡らしているのだと思う。

 でも、記憶の中に、唯一私の壁をとりはらって話を聞いてくれた人がいた。

 それが、池辺先生だったんだなぁ。中学3年の時の担任。

 2度、その先生の前で大泣きした。

 そして、その2度ともが、私の「挫折」のときだった。

 私は、何も深くを語らないのに、その先生には、色んなことがお見通しで、私にあまりにも共感してくれるので、涙が止まらなかった。

 でも、泣きながら、したたかな私は、こう思ったんだ。

 「先生には、私を救えないよ。」って。

 わかってた。自分で壁を乗り越えていかなきゃならないこと。

 でも、その後押しをしてくれる先生の存在は大きかったよ。

 

 中学3年生のときに、鏡を見て泣いていた。私をわかってくれる人は、この人だと思っていた。

 自己愛に根ざしているといわれてもいい。

 私を救えるのは、私だけだから。

 生きていかなきゃならないんだから。


 やっぱり、「自分」について考えた夏休みでした。もうちょっと、人のことも考えたらええのになあ。



12. チェインギャング By The Blue Hearts
作詞:真島昌利


僕の話を開いてくれ 笑いとばしてもいいから
ブルースにとりつかれたら チェインギャングは歌いだす
仮面をつけて生きるのは 息苦しくてしょうがない
どこでもいつも誰とでも 笑顔でなんかいられない

人をだましたりするのは とってもいけないことです
モノ盗んだりするのは とってもいけないことです
それでも僕はだましたり モノを盗んだりしてきた
世界が歪んでいるのは 僕のしわざかもしれない

過ぎてゆく時間の中で ピーターパンにもなれずに
一人ぼっちがこわいから ハンパに成長してきた
なんだかとても苦しいよ 一人ぼっちでかまわない
キリストを殺したものは そんな僕の罪のせいだ


生きているっていうことは カッコ悪いかもしれない
死んでしまうという事は とってもみじめなものだろう
だから親愛なる人よ そのあいだにほんの少し
人を愛するってことを しっかりとつかまえるんだ

だから親愛なる人よ そのあいだにほんの少し
人を愛するってことを しっかりとつかまえるんだ

一人ぼっちがこわいから ハンパに成長してきた
一人ぼっちがこわいから ハンパに成長してきた

私が「私」になった場所。~丹後への帰省と同窓会~

 久々のブログ更新です。

 CIMJに4日間参加・・・大津まで通いました。「ダンス」に対して、「自分」に対して、これまでとは、違った発見のあった4日間でした。
 自分が「ものづくり」に主体的に関わり、作品と、自分自身と、人と、対話していくことが、いかに難しく、また学ぶことの大きい価値有る作業かを、改めて実感できました。「感性を擦り合わせる」ってことなのだなあ。大切にしていかないといけない営みです。

 4日目の夜は、四条烏丸のMOJOである、中学の同級生まーみの新しいアルバムのリリースツアーに行きました。会うたびに新しくて、でも、変わらない同級生の姿には、いつも元気をもらいます。UNCHAIN、みなさん、是非CD聴いてね!かなり、サマーなアルバムです。最近の私のドライブのお供です。

 12日からは、カオスのキャンプに参加。全国から、30名ほどの若手教員や、学生が集っていました。行く途中に、帰省ラッシュに巻き込まれて、到着が遅れましたが、かなり「Yes,and」の精神で迎えてもらえて、ありがたかったです。
 私は、インプロやコンタクト・インプロを使った講座を担当しました。参加者同士のエンパワメントをすごく感じて、集団の下地作り、雰囲気づくり、関係性づくり、出会い直しのきっかけ作り、にやっぱり効果的と改めて実感。前回より、余裕を持って進行できました。すぅさんのファシリテートをいつも見ているおかげです。
 インプロを楽しむことから、恰好の学び・気づきまで、たどりつけるようなワークをしたいですね。

 グループ教材研究もすごくおもしろかった。どう作品を解釈して、どんな授業を組み立てるかっていうのも、感性を擦り合わせる営みだと思った。ああでもない、こうでもないと言い合いながら、どんどん作品が立体的に見えていって、みんなの考えがシンクロしていくのがとても楽しかった。こういう場、もっとあったらいいな。

 13日は、朝ごはんを食べて、失礼する。みなさん、また「しなリレ」で会いましょうね~~!

 昼過ぎに、大久保駅で愛子と合流。丹後へと、車を走らせます。

 墓参りをしたあとは、隣のお家のバーベキューにおよばれ。いつもどおりの、お盆。地元はやっぱり落ち着きます。かなり、だらだら。

 14日は、中学校のときの同窓会。仲がよくて、毎年のようにバーベキューをしていて、去年からは、全員にハガキを出して、本格的にやっている。

 今年も、18人/39人の参加。私の家の庭で、久しぶりの再会に「お~」とか、「わ~」とか言いながら、盛り上がる。不思議と落ち着く、あったかい集まりなのです。みんな、ほんまにええ子ばっかりで、楽しいです。

 今年結婚したメンバーが奥さんを連れてきたり、去年パパになった子が、奥さんと息子を連れてきたり、なんだか家族サイズになってきて、それまた、うれしい!大変なこともありながら、でも、どこかしらで人生を切り開いている同級生たち。

 出会い直している・・・そんな言葉が本当にぴったりくる私達なのです。

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 中学のとき、紡いだ糸・・・今でも、どこかで、心を支えてくれる存在になっているみたい。

 八丁浜へ移動して、ござの上に寝転がりながら、みんなで満点の星空を眺めました。流れ星にきゃ~きゃ~言って・・・もう、楽しすぎる。友達だなって思います。

 それにしても、丹後の星空は、もう抜群!180度星が見えるって、やっぱり都会じゃありえんもん。天の川もうっとりするくらいきれいで。

 家に着いたのは明け方4時・・・久しぶりにこんなに遊んだなあ。


 15日は、あやちゃんと後片付け。途中、新井君からのアイスの差し入れに舌鼓を打ちつつね。人生の新たなページをめくる友達。どきどきさせます。私も、旅立ちたくなるじゃんか!

 昼からは、過去の写真や、文章の整理。

 真っ赤なファイルには、思春期の葛藤と嫌悪と自己否定・他者否定・人間不信をぶちまけた文章が雑然と入れてあって、読み返しつつ、リファイリング。

 誰にもわかってもらえなかったし、誰にもわかってもらおうとしなかった記録だ。

 今でも、触ると、ひりっとするようなものさえある。こういうのを忘れちゃいけない気がして、自分と出会い直す意味で、今回、整理することにした。

 愛子が学級文庫に寄贈するわ~と言って、本を持ってきてくれて、その後、一緒にドライブ。みさちや平君と、間人(たいざ)の海と、クロック・ミルへ。昼の海のきらめきが美しい。プリンケーキに、とろける。


 
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 16日は、図書館で、「芸術家と子ども達」の冊子を熟読・・・う~ん、妄想妄想・・・妄想族。これを、構想に変えていかねば・・・。おもしろすぎます!

 お母さんと「SPROUT」でランチ。峰山にも、おっしゃれーなお店が増えてきたものです。帰るのが楽しいです。

 その後、中3のときの担任の池辺先生と再会。

 池辺先生のことは、書き出すともう長くなるから、今回はちょこっと。

 私を、集団の中で育ててくれた先生です。

 今年、六年生を持つに当たって、池辺先生の学級作りに示唆を与えられることがすごく多かった。改めて、先生の学級作りを思い返してみると、全生研の思想と重なる部分もすごく多くて、そこらへんをどうしても聞いてみたくて、電話して、あうことに。

 「さてんえん」に現れた先生は、以前と変わりない。軽トラにのって、いつもの笑顔でこんにちは!

 どうやって、集団を高めていくか、リーダーを指導するか、授業をつくっていくか・・・

 色々、教えてくれるけど、結局は、自分でやってみないと、自分のものにならないって。

 私がどんな人間で、どんなふうに子ども達と関係を作っているか、私が話す前からお見通し。びっくりする。

 これまでは、「池辺先生」だったけど、今では、先輩でもあるのだ。同じ職についた今だから、見えてくる先生の姿。これもまた出会い直し。

 本当にありがたい時間だった。「貪欲」という言葉は、先生から身をもって教えてもらった気がするわ。そして、人間は、一人で生きていかなきゃならないってことも。

 また、会いにいきますから!

 17日は、いーちゃんと、京都へ。車に荷物をたっぷり積んで、いろいろ、過去の思い出を手繰り寄せながら、京都へ。

 自分の中に、忘れかけていた感覚がよみがえる。私は、「生徒」で、「子ども」だった・・・。「みんなの中の一人」だったなあ。

 中学の同級生の中での「私」を感じることは、やっぱりかけがえのないこと。

 いろんな意味で、私の原点がある・・・。


 そんな、そんな、お盆休みでした。私と出会ってくれた、全ての人へ、ありがとう。

 

CIMJ レポート ①

 今日から、大津の滋賀会館である、コンタクト・インプロのワークショップに参加。

 コンタクトをすると、いっぱい発見がある。講師の方の言葉にはっとすることも多い。でも、何にはっとしているかを、整理できてない。だから、こうして覚書。

 【コンタクトことはじめ】

「モノクロームサーカス」の坂本さんと、プレイバックシアターの活動をされている橋本さんが講師。

・足もみ、肩もみつつ自己紹介
・マッピング(インプロのスケールラインと同じだと思った。「自分の緊張度」を空想の目盛りで表し、自分の位置を示す。それにより、参加者に、自分のある一面を知らせることができる。それに対し、インタビューして、なぜsの位置を選んだかを知らせることで、参加者同士、または講師と参加者の間に「出会い直し」が生まれる。

・マッピングは、3パターンで。「緊張度」「最近の幸福度」「最近の幸福度×出来事の幸福度」

・応用編「ドラえもんがいたら、どの位置にいきたいか?」

「幸福な状態を求める人もいれば、普通の状態でいたい人もいる。それぞれに、自分が自分の居場所と思える、心地よい位置があるので、それを、無理に幸せなほうにいざなうようなアプローチは、一見ふさわしいようで、そうではない。

<コンタクト・インプロ>

・歩く(スクランブル)・・・縦横無尽に歩く・すきまを見つけて、うめていく・人と触れてもOK・ある人を決めて、ついていく・ある人には、ついていき、ある人とは離れようとする・ある人が、常に右目で見られる位置にいるように動く・ある人は右目、ある人は左目で見られる位置でいるように動く・2人を決めて、二等辺三角形になるように、位置をとる

・ふれる・・・常に誰かにふれているようにする・手だけでなく、目を閉じて、いろんなところで触れる・一度、目を閉じて離れて、自分の位置を見つけたらゆっくり呼吸・目を閉じて、最初に触れた人とペアになる

・聞く・・・Aが動き、Bはそれに触れながら動きについていく。次は交代。リード役の動きにただ着いていくだけでなく、自分も色んな部位でふれたりと、積極的にアプローチをしていく。どんどん、それを感覚を短くして、最後には、合図なしで、2人が、お互いの動きを聞きあいながら、相互にコミュニケーションをはかっていく。

・察する・・・Aが目を閉じている間にBはポーズをとる。そのポーズを、Aは目を閉じながらさわって、それと同じポーズをとる。最後に、目をあけてみる。正確さを求めるのではなく、どれだけ、相手のポーズを聞こうとしたかが大事。バージョン・アップで、タッチするのは5回まで、と決めてやってみる。

・プレイバック・シアターのワーク・・・「物が語る=物語」AとBでペアになり、Aが、自分の所有するある物について語る。Bは、それをよく聞き、その情報に基づいて、その物になりきって、Aに語りかける。

 例:「私はサンダルです。あなたが、今年の夏に、四条で私に出会ったとき、私は、この人に買ってほしい!とどきどきしたのを覚えています・・・」

 語りだす前に一周、語り終わったあとに、逆回転で一周、それぞれ、物になりきる前のウォーキングを行う。

 私はYさんの「ソフト帽」になりきって語った。即興だったので、難しかったし、どこまで想像していいかわからなかったが、話から読み取れる思いを自分なりに解釈して、語りかけた。終わったとき、Yさんが涙ぐんでいたのでびっくりした。そうか、こういう力があるのかあ。

 私は、サンダルの話をしてもらったが、すごく嬉しいな、と思った。物と人にも、人と人のように、特別な出会いがあり、それは運命だということ。

 物が語るから、物語・・・う~ん。そうだったのか。まだ、混沌としている。


・最後は、恒例の握手まわし。ほんわかとしたワークショップだった。人数がめっちゃ多くて、あまりたくさんの人とかかわれなかったのが残念。でも、今日ペアを組んだYさんが、あまりに笑顔が素敵で、人間味にあふれる女性だったので、その人ひとりとゆっくり関われたのも幸せ。

・坂本さんのおっしゃる、コンタクト・インプロの3原則。

 「自分の体を聞く」「相手の体を聞く」「自分の体は自分で守る」

 シンプルだけど、大切なこと。


 終了後、ちゃあさんと、ちょっと雑談。ダンス部のために、そして、新しい教育のために、何かを形にしていきたい、と話す。


【場所とコンタクト】

「水と油」のじゅんじゅんさんと、「モノクロームサーカス」の坂本さんのナビゲート。

・いざなう・・・ペアで、Aは脱力。BがAに対して働きかけ、それにAはリードされるかたちで動く。Bは、手だけでなく、体のいろんな部位を用いてAをリードする。随時、ペア交代。なれてきたら、色々、互いの動きを読んで動いていく。

・カウンターバランス・・・お互いの圧力が拮抗しあう場所をみつける。肩と、肩。腰と腰。背中あわせ。ほかにも、いろいろ、カウンターバランスがとれる場所を見つけていく。そして、そのまま動いてみる。どんどん動いて、動きながら、バランスをとる位置を変えてみる。

 今度は、動きながら、他のペアとぶつかって、ペアをいれかえてみる。それを繰り返す。

・そうして創った新しいペアと次のワーク。今度は、そのカウンターバランスを、外向きに使ってみる。手をひっぱりあったり、腕をひっぱりあったり、重心を外に預けて、それをどこかで支えあう。

・次に、二つのカウンターバランスを利用しながら、自由にコンタクトをとってみる。

・フロアに対して「強いポーズ」をとって、もう一人が、それにアプローチをする。もたれてみたり、のっかかってみたり、すべってみたり、もぐってみたりする。そうして、相手の体に対して語りかけていく。これも、交代。

・今度は、壁とコンタクト。先ほどの人とのカウンターバランスから発展させて、壁に対して、バランスをとりつつ、壁を利用しつつ、動きを見つけていく。壁をフロアとみたてるような動きも生み出せることを、じゅんじゅんさんが見せてくれる!さすが、プロの動き。

「見立てる」ことで、場がより豊かな印象を見せる。誤解させるのだそうだ。そうやって、客の意識をつないでいくのだそうだ。

じゅんじゅんさんの解説に、聞き入ってしまう。

・次に、自分と、壁と、ペアで動きを創る。壁の力とペアの力、その2方向の抵抗をうまく利用して動く。なかなか、難しい。

・その後、劇場の客席を、舞台にして、いろいろな「見せる」「見立てる」アプローチ。普段の客席を舞台にするだけで、すごく違った印象。

 続いて、滋賀会館のいろいろな場所をめぐる。11日のダンスツアーでは、その色々な場所を生かして創られたダンスが見れます。私も橋本さんとペアになって踊ることに。

 場所は2階のロビー。2人で踊るには、結構広いスペース。

 均等に並ぶ柱が印象的な場所。

 う~ん、どういう空間を創ればいいのかな・・・!?

 こういうの、おもしろいけど、難しい。遊びなら、いろいろ思いつくけど、どっかで自由になれなくて遊べない。

 遊びやすい環境ってどんなだ?

 それは、同い年の人や、子どもだけで遊べる環境。

 いろんな人に見られてたり、何かを作らなきゃって思うと、遊べないんだよな・・私ってやっぱり真面目だ。

 う~ん、セルフ・ヘルプのために、私はダンスやったり、いろんなことやってんだな。

 自分でやりたいことなんて、結局あるんだろうか?

 自分の思っていることが、わからないっていうのが、唯一、私が把握している自分の感情のようにも思う。

 どこで、失ったのか。

 失ったものを探す旅、ばらばらになったものを、つなぐ旅。

 私にとっては、それが生きていく上でのワーク。営み。

・終わってから、橋本さんといろいろ話す。

「教師くさくないから、びっくりしたよ」と言われる。

そうなんだ・・・そこで一つ疑問。

大学時代は、「何になりたいの?」って聞かれて、「教師」って言うと、「わかる~!」とか、「似合ってるよ~!」とか、「っぽい~~!」とか、言われたんだ。とにかく、9割の人に、教師っぽいっていわれたのよ。

それが、いざ、教師になって、「お仕事なんですか?」って聞かれて、「教員です」って答えると、ほぼ、100%の割合で、「そうは見えない」「教師っぽくない」「え~??学校の先生?」と言われる。

なんで?

これも、突き詰めていくと、人の思考の傾向が見えてくると思う。探ってみよう。

・ロビーでのダイアローグをのんびり聞く。

「ダンス」「社会」「教育」という言葉が、つながっていく。

そうだなあ、各地に、コンタクト・ジャムをできるような場がいっぱいある、それくらい、コンタクトやダンスがコミュニティーに当たり前に存在して、踊りながら、いろんな人とコンタクトをとって、旅できるようになると、楽しいなあ!

アートによる、社会の充実。アートによる、教育の充実。

もっと、もっと考えていきたいし、自分もそれに貢献していきたい。

【オープニング・パーティー】

・滋賀会館の4階で、オープニングパーティー。「茶水」プロデュースによる、体に優しいフードの数々は、繊細で、ほんっとに、おいしかった。「ダンス」と「食」のコラボ。素敵だわ~!!

・今夜は、琵琶湖の花火大会。花火をちゃんとみたのなんて、何年ぶりだろ?すっごくよく見えて、ぜいたくしました。みんなで見る花火って楽しいな~!

・井手上さんともたくさん話ができて、刺激をもらえた。また、新しいこと、できるといいな~!話すと元気がでる人にたくさん出会えた気分!

それでも、今日の気分は、中の下、かな。いや、下の上くらいかも。

その理由は、だれにもいえません。

私が、抱えていく、自分自身の個人的な問題。

それに向き合わせてくれる、コンタクト・インプロ、そして講師のみなさまに感謝。

明日も、出会おう。他者、ダンス、そして、ダンスや他者と過ごす中で見えてくる自分自身に。

世界はどんどん複雑になっていく



 世界は、どんどん複雑になっていく。

 最近の自分の思考のキーワードは、「意識」「無意識」ということだった。

 今日、2泊3日の横浜への旅から帰ってきた。旅の間も、そのキーワードをもとに、いろんなことが明らかになっていったように思う。

 とにかく、今、思うことが、自分の言葉となって、どんどんあふれ出してくる。それを、書き留めたい欲求にかられる。だから、また、非常に長ったらしい読みにくい文章になるだろうが、お許しください。私のために吐露します。

 「意識」「無意識」と考えていて、思い出したことがあった。「学力を育てる」(志水宏吉 著)にある件である。

 学力には、二つの部分がなければならないと感じた。「わける力」と「つなぐ力」である。

 

 志水さんによれば、二つの力は,次のようらしい。

 「わける」・・・分かる、つまり、物事をちゃんとわけてとらえられることができるか。輪郭のぼにゃりとした対象をまとまりごとに区切って認識することができるか・・・。すなわち、「分析」

 「つなぐ」・・・分けられた個々の要素を関連付けて把握すること。部分部分をつなぐことによって、ひとつの全体として理解すること。それにより、世界は秩序あるものとして、姿を現す。すなわち「総合」

 さて、最近私が考えている「無意識」と「意識」との関係。
 
  無意識下にあったものが、意識化される営み。これが、「わける」だ。これによって、世界は、どんどん複雑になっていく。

 ここでいう、複雑とは、緻密という意味。これまで、平らだった景色が、立体的な輪郭を呈してくるってこと。

 そして、無意識が意識化されるためには、「疑問」が必要になる。意識化するってことは、今まで意識しなかったものに、疑問を持つってことなんだ。そして、その疑問符を持ち続け、その解を見つける。で、解を見つけることで、ある部分、混沌としたものが、クリアーになって、輪郭があらわれるんだけど、一方では、クリアーになったことで、また別の疑問が見えてくる。

 これまで、見えなかった世界が見えてくる。意識するだけで。

 そして、こういうのを、成長、発達というのだと思う。

 で、こういうふうに、自分の中の意識変革をしてくれる起爆剤になるのが、非日常であったり、異文化であったり、芸術であったりするのだと思う。

 それは、異次元のものであり、心地悪さや、混沌をつれてくる。でも、それについて、考え続け、あらゆる方法で、学んでいったり、情報収集をしていったりすることで、謎が紐解かれて、クリアーになって、「分かって」(分けられて)、納得がいくようになって、自分のものになっていく。身についていく。この一連の流れが、学び。

 で、「つながる」は、その続きね。ほんと、分かってくると、つながってくるのよ!逆に、つながることで、わかることもあるの。

 それが、楽しくて、興奮するのだ。

 昨日(5日)に、『The CO』という、白井剛さんと、野村誠さんたち音楽家による公演が世田谷シアタートラムであったので、観にいって、それで、また色々、野村さんについて考えてしまった。(公演は、ほんっとに、すばらしくおもしろかった!新次元でした。でも、あ、どこかで、こういうことをやってたような気がする、と思った。音を体現するというか、ダンスしつつ演奏するというか。高校のとき、妄想していた。)

 だから、今日の日記には、野村さんの名前が色々登場する。

 野村さんの著作や、舞台、ブログが、とにかくおもしろくて、私の無意識を刺激してくれて、新しい世界を見せてくれるので、すっかりファンになってしまっている。

 で、昨日買った、「即興演奏ってどうやるの?」から、なるほど、と思った言葉を引用します。

 京都女子大では、「児童音楽」という新しい授業の立ち上げに3年間かかわった。論文指導で、よく学生に言っていたこと。
 「結論は出ないから、結論を出そうと思わないでね。子どもと音楽について、どんなに研究したって結論は出ないよ。でも、ナゾはドンドン増える。」 「即興演奏ってどうやるの?」より 
 
 
 そうだ、そうなんだ!って感じだ。なんだって一緒。知れば知るほど、世界は緻密になっていくし、謎は深まっていく。分けられていくことで、つながっていくことで、クリアーになる一方で、自分自身で、謎を作り出していくことができる。無意識でいたものに、意識的になれる。謎を自覚できる。

 そして、ダンスの即興についてつなげつつ、思った。

 「正解」に対して、または「あるべき自分やあるべき世界」に対して、意識的になるレッスンを繰り返したせいで(学校教育で、または違う場所でも)、無意識の内にうずもれてしまった自己を取り戻したい、と思っている自分がいること。それが、私が即興をする理由。インプロにしても、コンタクト・インプロにしても。

 野村さんの即興や、ワークショップは、私が何に対して意識的に生きていたかを気づかせ、無意識下にある自己を捉えなおさせてくれる。

 そうして、世界を再構築していく。何もない平野が、でこぼこした立体的な風景に見えていく。

 
 野村さん、という存在そのものから、また、発せられる言葉や音楽や、行動の一つ、ひとつから世界が紐解かれていく。

 もう一方で、意識化されてくれるものの、もう一つは、「言葉」ないし「文章」である。

 言葉は、いくら難しい学術用語であっても、私の混沌とした世界をはっきりとrealized,すなわち分かつ役目を担っている。言葉に、私が興奮するのは、言葉が私への答えを与え、私の混沌が言葉によって、そこにはっきと存在しはじめるから。

 だから、江國さんの小説が好き。

 彼女の中に私を見つける喜びにあふれている。

 私が昔から、国語便覧で作家や詩人の年表や生き様、作品解説を読み、彼らに心ひかれたのも、結局は、自分の仲間を見つけるためで、『他者の中に私を見つける』ことで、救われたかったのだと思う。

 江國香織さんは、「感覚」を言葉にするのが、抜群にうまい。

 私が、日々、無意識に通り過ぎているような風景や、感覚を、文章で見せてくれる。

 だから、江國さんの文章を読むと、新しい感覚を身に着けられるようなのだ。

 また、一方で、自分が無意識だったが、確かに感じていた感覚について、はっと気づかせてくれるのも、江國さんの文章だ。

 江國さんの小説の中に、私を見つけること、それも小説を読む醍醐味。

 江國さんは、「日のあたる白い壁」、「出会った絵について書くことは、でも勿論私について書くことでした」と述べている。

 そうなのだ。私が、本を読むということは、本を読むことで、自分の中にうずもれていた感覚や、記憶や、言葉として意識していなかった感情を、知るという行為なのだ。

 対象がどうであったか、というよりも、対象を、どう受け取ったか、という自分の体と感情と感覚に訴えかけた印象!メッセージではなく、そのメッセージにどう、自分が反応したか、が大切なのだ。

 そして、それが、自分らしさで、そこをもっと、私は大切にしていいんじゃないの?と思う。

 対象がどうであったか、を見極めようとしすぎず、自分が受けた印象を大切にする。

 教育だって同じはずだ。

 物語に、何が書かれているかを読み取るのではなくて、物語を読んで、自分は、何を感じたかを、語り合っていくことが、大切なのだ。もちろん、何が書かれているかを読んでこそ、メッセージを受け取れるから、内容読解は、必要だけど、でも、その正確さ、緻密さよりも、自分が感じることのほうに、価値があるし、大切にしていかなければいけないんじゃない?

 鑑賞なんかにしてもそうだよね。

 私は、とにかく、「正しくないといけない」っていうのに、支配されるように育ってきたと思う。

 だから、物語や、絵画や音楽にしても、正しく、理解したい、というのが、先にたって、自分の素直な感情をどこかで押し殺してしまっていたようにも思う。

 そういうことに気づかせてくれて、その人自身というフィルターを通して、作品を読み解くことの、味わいや、価値を改めて思い知らされた。

 でも、それはやっぱり独りよがりでは、価値は薄くて、人と人が出会う、学校という場では、そういう自分の印象、自分というフィルターを通した意見を、友達と交流しあうことで、他者と出会い、出会いなおし、他者の中に自分を見つけたり、自分の中に、他者を見つけたりしながら、作品に対する、多角的な視点を広げていくのだ。

 平坦な物語が、立体的な物語になっていくように。切り口や、フィルターは、個人の感じ方の数だけ存在する。

 ああ、私のブログは、私のエポック・ノートだな、と思う。

 私の気づきを教科書にする。これは、自分のオリジナルの教科書。学びの、気づきの記録だ。

 言葉と気づきが、内からあふれてくる。

 さて、今回、横浜には、全生研(全国生活指導研究協議会)の全国大会のために出かけていた。

 わけあって、参加できたのは、初日と2日目だけだったのだが、「無意識的なものに意識的にさせてくれた」という点で、非常によい研究会だったのだと、思う。

 すなわち、参加者自らが、多くの気づきを持ち、自発的学びを手に出来るような方法をもとに研究会が構成されており、内容も、そうした質の高いものであったということ。

 優れた研究会とは、ということについて改めて考えさせられた。

 参加者や講師の先生方に学ぶ点、感銘を受ける点も多く、ここには、「ホンモノ」がある、と確信することができた。

 今後の、自分自身の教育活動において、今回の「アート」×「教育」と、「子どもの集団作り」が、私の核になってくるのだと思った。これは、決意にも似た思いだ。

 そして、その二つは、私の中で、うまく調和している。というよりも、つながっている、同じものなのかもしれない。

 「自分と他者が出会い、出会い直す」、そして、「子どもをつなぐ」という意味で。

 人は、出会い、つながり、そして変わるのだ。集団の中でこそ、活かされる自己。生まれる自己。出会える自己。

 私は、自己実現を求める旅路にいるからこそ、アートと、集団作りにひかれていることにも自覚的になれた。
 
 表現を通して、新しい自分と出会い、新しい価値観と出会い、新しい世界を見る視点を手にし、新しい他者の一面を知っていく。これらの営みは、子ども達の学びに、アートを介在させることで生まれる。そして、集団作りが目指すものでもある。集団作りにアートは利用できるし、集団作りそのものが、アーティスティックな営みだともいえるだろう。

 私は、感覚でしゃべるタイプだから、論理的ではないけど、確信はある。

 今、「子どもたちの想像力を育む」を読んでいるが、そんなことを改めて感じる。

 全生研での気づきも、ノートにたっぷりメモってあるが、また、明日更新しよう。

 明日は、私にとって、教育とアートについて学びを深める上での、そして、自分が自分であるための、一つのチャレンジの日だから…はやく寝なきゃね。


ダンス × 教育 その無限大の・・・!


※今日の私の日記を読んで、「創作ダンス」に興味を持たれた方、是非、8月6~9日まで神戸文化ホールで行われる、全日本高校・大学ダンスフェスティバルin神戸にお越しください!6は、予選で7は決選(両日観覧無料!)。

 この2日間は、創作ダンスの発表です。全国から、ハイレベルで、個性あふれる感動的な作品が集まります。学生のエネルギーが、本当に感動的!

 私は、この大会で、「生きる喜び」を肌で感じました。それほど、人の体の美しさと、人の存在の素晴らしさを、ダンスを通して教えてくれる大会です。

 8日は、フリージャンルの舞台。これも、ユニークで見ていておもしろい。

 9日は、受賞校のみの舞台で、チケットがいります。当日券を手に入れるのは至難の業です・・・。だから、行くなら、6と7がおすすめ!

 お盆のころに、NHKでもテレビ放送されますから、またお知らせします。



・芸術には、無意識なものに、意識的にさせる力がある。美しいからとか、これまでに見たことがないからとか、そういうエッセンスのためかもしれない。

・自分の中で、いろんなものを関連させてしまえる人がいる。去年担任した、M君は、すぐに話が飛んだ。他の人が聞くと、一見何の関係もないようなことを口走るので、「また、授業に関係ないことを言って」と思われがちだが、そうではなくて、彼の思考の中ではつながっている。

 これは、センスだと思う。こういうふうに、頭の中で物事をつなげられる人は、世界に対して意識的だと思う。何も考えずに生きてないと思う。

 ちなみに、B型の人には、すぐに話が飛ぶ人が多い。

 M君もB型で、私もB型である。A型をはじめとする多くの人からは、あまりに話が変わるので、非難されがちである。つながっているのよ~~。。。

・今日は母校、兵庫教育大学まで、ドライブ。大会を控えたダンス部の子達の作品を観るため。

 ドライブの間、いろんなことを考える。思考がいろんなところへ行って、結構発見もあり、おもしろいが、高速道路の運転中はメモがとれない。いつも、半分以上は忘れてしまう。もったいない~。でも、無意識下にストックされているんだろう。

・考えたことのうちの一つは、「しなリレ」の今後のこと。10月にキャンプをするんだけど、その後のこと。

 結構、このワークショップでやりたいことは、色々ある。インプロの限らず、リレーション(関係)作り、人間関係作りや、集団作り、すなわち、自己啓発、自己開発に関わるようなものは、どんどんとりいれて、学校現場の人に紹介したり、分かち合いたい。

 何より、私自身が、学びたくてこういうワークショップを開くわけ。私は、その道のプロでも何でもないし。ただ、新しくて、子どもにも教師にも力がつくようなものをどんどん吸収して、広めていきたい。

 そういうワークショップを探すより、自分で講師の先生を呼んだほうが楽しいし、効率がよいので、そうしようと思う。

 で、やっていきたいのが、「コンタクト・インプロ」これは、ダンスのインプロ。お互いの体の動きを感じて、自分の動きを生み出してゆく。

 うちの学校で実施した、「ダンスで理科」にも、その手法はたくさん用いられていた。「てんびん」の学習なんて、まさにそれだもんね。「めだかの産卵」の作品もそう。

 「ダンスで理科!」参考ページ

 平盛小HP  糸井先生のブログ   「子どもとアーティストの出会い HP」
 
「コンタクト・インプロ」は、ダンスを創るときに、よく使われる。即興で演じていると、いい動きや振り付けが生まれることがよくあるからだと思う。

 自分ひとりで頭を悩ませるより、他者とコミュニケートし、感じあい、互いの動きを共有しながら創作するほうが、はるかに刺激的で、おもしろみがある。

 今後、増えてくるであろう、授業の成果を「ダンス」で表現するといった活動に、こうしたコンタクト・インプロは、非常に有効。とにかく、初心者でも、とっても楽しめるからだ。

 体育の授業の体ほぐしの運動にもなるし、互いの体についての理解にもなるから、理科の学習、図工の学習にもつながる。いえ、つなげることは、いくらでもできる。

 もちろん、学級経営にも、集団作りにも。

 大抵、創作ダンスを創っているダンス部は仲がいいし、チームワーク抜群である。ダンスを創る中で、共に呼吸し、踊る中で、仲良くなるんだよね。とくに、創作は、感情を入れて踊るし、テーマを追求していくから、お互いの考えとか、価値観とかを創作段階ですり合わせていくことになるから、余計チームでのリレーションが強くなるんだと思う。

 HIP HOPとか、JAZZみたいに、ただ振りを教えるだけではないからね。

 とにかく、手軽で、楽しく、気づきも大きく、抵抗感が少ない、ダンスとして、コンタクト・インプロは、とてつもない可能性を秘めたジャンルのダンスだと思う!

 だから、現場の教員に、是非体験してほしい。

 そんで、一緒に、授業を考えてみたい。実際に、授業を考えて、プログラム化しないと、広まってはいかないだろうな、と思う。たとえ、プログラム化しても、それぞれの集団の中で生まれるものは全くの別物だから、アーティスティックな部分は損なわれないと思う。

 「ダンスで理科」も、実際に、ワークショップで体感してもらって、まずは、教師集団で、一つの作品を作ってみたりしてもおもしろいかも。

・そんで、もういっこひらめいたのが、小・中・高生と、大学生、または教員で、作品を作る。創作ダンスね。で、題を、「歴史上の出来事」とか、「歴史上の人物」などの、社会的なことから、「自分の内面に関すること」「科学的な内容」とかにするの。

 作品を作り上げるためには、リサーチがいる。

 例えば、「アンネの日記」をダンスにしようと思えば、ナチス・ドイツについて、アンネの生涯について深く知り、それをもとに、何を伝えたいかを明確にして、起承転結の構成をねる。

 心情描写のために、アンネの置かれた状況から、心情を把握し、それをどうやったら見ている人に伝わるかを試行錯誤しながら、表現していかねばならない。

 衣装について、音楽について、これまたリサーチが必要。

 自分自身も、そうやって作品を作ったが、一つのテーマを表現しようと思えば、たった5分の作品にしろ、膨大なリサーチがいる。非常に勉強になるし、それを表現することで、その学びはほんものになる。

 「創作ダンス」は、もはや、体育の授業でやるものではない。

 自分と、そして他者と向き合うために、そして、世界に目を向けるために、創作ダンスは、非常に有効な学びの方法であると思う。

 自分自身が、その効用を身に染みて知り、今でも、それを追っかけている立場だからよくわかる・・・。これを、何とか伝えたい。

 残念ながら、わが大学のダンス部は、今、存続の危機だ。

 チア・リーディングや、HIP HOP系の部活に部員が流れていっている模様。たしかに、かっこよくて、わかりやすくて、見栄えもよくて、私も大好きだ。

 でも、それらにはない、よさが創作ダンスにはあって、教育的なエッセンスが十分に含まれていることが、やっぱり、見ている人には、わからないんだろうなあ。それを、伝えるのも、至難の業だ。

 けれど、部活のOGは、ほとんどが教員で、今も、創作ダンスの素晴らしさに惹かれている者ばかりだ。私達で、何か新しい風を吹かせられないか・・・そんなことも考えた。

 今年は、創部20周年。記念すべきこの年に、教育×ダンス という方程式に身を置いた私達で、何か新しくて、素敵なことを、クリエイトできないものだろうか!?!?


 「風と女は閉じこめられない」

 「笑舞」魂復活で、兵教ダンス部にしかできないこと、やりましょ!やります!!
 
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