“・・・ただひたすら、石にかじりついてもひねくれまい、母のような女になるまいと思って、生きてきた。が、それは常に、自分を母より正しいとすることであった。
相手より自分が正しいとする時、果して人間はあたたかな思いやりを持てるものだろうか。自分を正しいと思うことによって、いつしか人を見下げる冷たさが、心の中に育ってきたのではないか。”
三浦綾子「続・氷点 下」より
読み終えました、「氷点」そして、「続・氷点」・・・。
実家に帰っていることもあって、自分について、自分の歩んできた人生について、自分の出会ってきた人々について考えます。
そして、あまりにも多くのことを忘れてきていることを知ります。
そして、南部で1人暮らしをすることで、忘れようとしていたことがあることも知ります。
う~ん。丹後は、やっぱり私にとっては、曇天。
今日は、夕方から雪おこしもなって、吹雪いていました。
「正義」だとか、「正当」ということに、ことさらこだわっていた子どもの頃。
自分の中の罪を知りながらも、どこか、悪への憎しみがあった。
ああは、なりたくない。あるものに対して、敵対心や憎しみを抱くことは、自分を正当化させたし、そう思うことが自信とか、存在証明のようになっていく。
どこかひねくれたのも、きっとそのせいで、自分を理解してくれないものとか、自分に合わないものは、軽蔑したし、それとなく避けてきた。
正しくあろうとすることは、正しくないものを排除すること・・・
幸い、私は、自分の中に、いくつかの自分を演じたがったから、理解ある人間のふりもできたと思う。
学校現場では、そういうふりも必要だし・・・実際、子どもの前では、私は愚かでありたいし、間違ってもいいと思っている。
でも・・・一方では、冷たい自分。いや、冷たかったのに、自分を甘やかしているうちに、ぬるくなった自分・・・そんなあいまいな自分がいる。
「自分を正しいと思うことによって、いつしか人を見下げる冷たさが、心の中に育ってきた」
どんなふうにしても、人は罪を背負ってくるものなのですね。
原罪・・・
ああ、でも、私はぬるい。
自分に対して甘いから、人に対しても甘い。
それは、寛容ではなく、適当だ。
常に、逃げ道を用意しないと不安で。
傷つくのが怖いから。
一番の逃げ道が文章で、こうして書くことで、私は、自分を正当化できるから。
そう、文章にすれば、自分の中で、許されると思っているのだ。
美しければいいとか、見栄えがよければいいとか、そう思っているから・・・
結局、自分を守るためにやっていることなのだと思う。
珈琲を飲んで眠れない・・・。一年で一番最後の日、時刻は3時26分。
献身的になりたくなるもの、自分にうしろめたさがあるから。
平和ボケした社会にあって、刺激をもとめているだけ。
自分を律することが、自分ではできないから。
コンピュータの反応が遅くて、遅くて、昼から延々と年賀状作り。
合間に、本を2冊読み終えたから、それもよし・・・かな。
もう、来年は25か・・・四半世紀ね。もっと、えぐりたい、自分を。まだ、何か眠っているはずだから。無意識下の自分を探りたい。
2007年、最初の頃の日記には、今年のテーマを、「Realize」と書いていた。
ああ、確かに、そうなったようにも思うわ。
いろいろ、形になってきたし、まあ、まあ、思ってたことが現実に出来たような。
来年は、どうしようかね。
でも、とにかく、2007年は、出会いに恵まれた一年だった。
それが、一番です。みなさん、本当にありがとう。神様仏様、本当にありがとうございます。
細木数子の占いでいくと、今年は、「立花」だったんだ。
この年の出会いが、一生において、重要なものになるって。
ああ、そうかもしれんと振り返ってみて感じるわ。
来年も、どんなめぐりあいがあるか、楽しみ。
それには、まず出かけることね。
夏はモンゴル行くぞ~~~~~!!