2007年12月

氷点を探りたい。


“・・・ただひたすら、石にかじりついてもひねくれまい、母のような女になるまいと思って、生きてきた。が、それは常に、自分を母より正しいとすることであった。

 相手より自分が正しいとする時、果して人間はあたたかな思いやりを持てるものだろうか。自分を正しいと思うことによって、いつしか人を見下げる冷たさが、心の中に育ってきたのではないか。”

                                   三浦綾子「続・氷点 下」より


 読み終えました、「氷点」そして、「続・氷点」・・・。

 実家に帰っていることもあって、自分について、自分の歩んできた人生について、自分の出会ってきた人々について考えます。

 そして、あまりにも多くのことを忘れてきていることを知ります。

 そして、南部で1人暮らしをすることで、忘れようとしていたことがあることも知ります。

 う~ん。丹後は、やっぱり私にとっては、曇天。

 今日は、夕方から雪おこしもなって、吹雪いていました。

 

 「正義」だとか、「正当」ということに、ことさらこだわっていた子どもの頃。

 自分の中の罪を知りながらも、どこか、悪への憎しみがあった。

 ああは、なりたくない。あるものに対して、敵対心や憎しみを抱くことは、自分を正当化させたし、そう思うことが自信とか、存在証明のようになっていく。

 どこかひねくれたのも、きっとそのせいで、自分を理解してくれないものとか、自分に合わないものは、軽蔑したし、それとなく避けてきた。

 正しくあろうとすることは、正しくないものを排除すること・・・

 幸い、私は、自分の中に、いくつかの自分を演じたがったから、理解ある人間のふりもできたと思う。

 学校現場では、そういうふりも必要だし・・・実際、子どもの前では、私は愚かでありたいし、間違ってもいいと思っている。

 でも・・・一方では、冷たい自分。いや、冷たかったのに、自分を甘やかしているうちに、ぬるくなった自分・・・そんなあいまいな自分がいる。

 「自分を正しいと思うことによって、いつしか人を見下げる冷たさが、心の中に育ってきた」

 どんなふうにしても、人は罪を背負ってくるものなのですね。


 原罪・・・

 ああ、でも、私はぬるい。

 自分に対して甘いから、人に対しても甘い。

 それは、寛容ではなく、適当だ。

 常に、逃げ道を用意しないと不安で。

 傷つくのが怖いから。

 一番の逃げ道が文章で、こうして書くことで、私は、自分を正当化できるから。

 そう、文章にすれば、自分の中で、許されると思っているのだ。

 美しければいいとか、見栄えがよければいいとか、そう思っているから・・・
 

 結局、自分を守るためにやっていることなのだと思う。

 



 珈琲を飲んで眠れない・・・。一年で一番最後の日、時刻は3時26分。

 献身的になりたくなるもの、自分にうしろめたさがあるから。

 平和ボケした社会にあって、刺激をもとめているだけ。

 自分を律することが、自分ではできないから。

 

 コンピュータの反応が遅くて、遅くて、昼から延々と年賀状作り。

 合間に、本を2冊読み終えたから、それもよし・・・かな。

 もう、来年は25か・・・四半世紀ね。もっと、えぐりたい、自分を。まだ、何か眠っているはずだから。無意識下の自分を探りたい。

 2007年、最初の頃の日記には、今年のテーマを、「Realize」と書いていた。

 ああ、確かに、そうなったようにも思うわ。

 いろいろ、形になってきたし、まあ、まあ、思ってたことが現実に出来たような。

 来年は、どうしようかね。

 でも、とにかく、2007年は、出会いに恵まれた一年だった。

 それが、一番です。みなさん、本当にありがとう。神様仏様、本当にありがとうございます。

 細木数子の占いでいくと、今年は、「立花」だったんだ。

 この年の出会いが、一生において、重要なものになるって。

 ああ、そうかもしれんと振り返ってみて感じるわ。

 来年も、どんなめぐりあいがあるか、楽しみ。

 それには、まず出かけることね。

 夏はモンゴル行くぞ~~~~~!!

Be Patient・・・



 無償に観たくなって、「ジョゼと虎と魚たち」のDVDを借りてきてみる。

 2回目だ。初めてみたのは、教師になったばかりの4月。ほっしーさんの部屋で観たんだった。

 戦慄が走るというか・・・いてもたってもいられないような衝撃を覚えた。忘れられない映画になって、サントラも原作本も持ってる。

 登場するサガンの小説まで探しまくって、その文章を手帳に写すくらい、それくらい心酔している。

 ジョゼが、ジョゼが、不憫で、かわいそうで、どうしようもないのだ。

 でも、それは、どこか自分のようで、余計にやるせない。

 しかし、瞬間を永遠にして生きるジョゼは、哀れだけれど、美しい。

 海の底。

 音が無い、光も無い、暗闇。

 そこからやってきたというジョゼ。

 孤独を誰よりも知っている。一瞬の夢を見て・・光と音を知ったがゆえに、ジョゼは、もっともっと奥深くで彷徨う運命になっちゃう。

 でも、それでもいいと恋をしたジョゼ。

 う~、ジョゼ~・・・

 でも、でも、恒夫もすっごい私は好き。

 最後の、号泣。ジョゼは、忘れられない女になったんだなと思う。

 サヨナライツカを思い出す。

 忘れたい、いとおしい、忘れられない。ほんと、そのキャッチコピーどおりで。

 ああ、まぎれもなく私の中の映画ベスト1!!

 ベスト2は、「ピアノレッスン」ね。

 あ!恋愛映画ばっかりだ~!ベスト3はなんやろね。「耳をすませば」かな。笑


 「堪忍してな」

 そう言われた。

 ん?この台詞、どっかで聞いたことがあるぞ。

 教室で、ワックスをかけたあとの床を磨きながら思い出す。ああ、あの人。

 すごく離れたところにいて、つながりはメールだけだった。

 すっごい好きだったんだ、その人のこと。

 「堪忍してな」そう言われて・・・そうか、堪えて忍べというのね。う~、しんどい。とか何とか思いながら、それでも、がんばった記憶。

 あっさり、さっぱり、大人の女になりたいんだけどさ~。現実は無理なわけで。

 昨日は、心の友エリカとそんな話を長々と。

 だって、私達、まだまだ中学生のようなんだもの!変わってない、まだまだ乙女!

 女ってもしかして、一生こうなの?自分達が情けなさ過ぎて、でも、同じで笑えてくる。

 ああ、相変わらず、バカだね~!うちら。

 patienceが足りない・・・そう思いつつ、気を紛らわせつつ、落ち込みつつ・・・映画観たり、本を読んだり、買い物したり、文章書いたり、料理したり、掃除したり・・・そうしていろんな記憶をたどっていったり・・・


 比べて落ち込んで、悲観して落ち込んで、被害妄想して落ち込んで・・・


 Une Femme Est Une Femme!! 女は女である!!!万歳!!!!!!!!
 

Slow Sensitive Sincere

冬休み。ゆっくり、のんびり。過ごしながら、本を読みながら思う。

何でも、一緒だな。

 ゆっくりがいいの。時間をかけて、静かに、しなやかに、ゆっくりと。

 Sounds of silence に耳を傾けながら。

 ごはんも、ゆっくり食べれば、満腹中枢が刺激されて、少しの量でもおなかがいっぱい。

 満たされたいなら、ゆっくりと味わうべきだ。

 はやく食べちゃうと、すぐおなかすいちゃうもんね。大事なものは、ゆっくりと味わう。お腹が空いていると、そうもいかないのが、悲しい。でも、精神力でそこんとこは、カバーでしょ。

 子どもの成長も、ゆっくりと。成果主義、効率主義に惑わされぬように。何が大切かは、ずっとあとになってからわかる。見えぬものを想像すること。聞こえぬものに、耳を傾けること。

 インスタントな成長は、所詮インスタントな価値しかない。

 クイックマッサージは、所詮クイックマッサージ。

 瞬間の快楽はあるけれど、長い眼で見たときに、どこか虚しい。

 やっぱり、時間をかけること。時間と手間をかけることだ。

 星の王子さまのいうように。

 子ども達と遊び、戯れ、お互いの細胞の中に、同じ空気を、感情を、景色を、共有すること。

 心も身体も、満たされる喜びと安心の中で人は本当に大事なものを、手にしていく。

 ハウツーも、ファーストも、クイックもインスタントも、時には、必要なんだけど・・・


 私、やっぱりここらで立ち止まろう。
 
 本当に大事にしたいものが、そこにはないもの。

 どこか虚しさだけが、残る。私の身体にあわないんだ。

 いそぎすぎ、いそぎすぎ。

 スロースロースロー。

 静かな暮らし。穏やかな暮らし。詩的な暮らし。

 ゆっくりゆるやかゆーもらす。

 どうしたって、めまぐるしいドラマの中に身をおかなきゃならない。

 でも、もうひとつの時間軸を、自分の中に据えておこう。

 わけもなく、かなしいとか、わけもなく、むなしいとか、

 そういうわけのわからなさへの、わたしなりの、抵抗。


 「氷点」読み終えた。そして、続編を迷わず購入。

 三浦綾子は、むさぼるように読んでしまう。

 自分の中の、何かがえぐられていく。

 罪深く、しかし美しくなっていくような・・・不思議な感覚。

 なんなんだろう、これは?

なんだか気恥ずかしいって感覚


 感覚。

 う~ん、なんかしっくりこない、とか。
 

 なんか知らないけど、こうやっちゃうとか。


 最近、感じるんだけど、私は、「こうあるべき」「こうしないといけない」と思いすぎると、なんか、駄目だわ。

 気恥ずかしいし、しっくりこないし、かりかりしちゃうし、身体に良くない。

 子どもに投げキッスをするのは、全然恥ずかしくないけど、

 「規律、礼」をするのは、私は気恥ずかしい。


 子どもの前で、変なポーズをするのは恥ずかしくないけど、

 みんなで、よいこの歌みたいなの歌うのは、気恥ずかしい。


 なんていうのかな、「こうあるべき」ように振舞うことが気恥ずかしい。

 ちょっと、ずれてて、はみ出しているくらいが、自然で気持ちがいい。

 

 緊張して、いろいろ、話したくもない、当たり障りのない話やコメントをする自分は気恥ずかしい。

 赤ちゃんに遭遇したときに、抱っこしようとする自分も気恥ずかしい。

 女っぽくふるまおうとする自分も、時に気恥ずかしい。

 

 そういう、気恥ずかしい自分になることが、すごくむずがゆくて、心地悪くて、そういうことを避けようとしているな、と感じる。

 そして、それは私の甘さであり、曖昧さであり、いい加減さであり・・・

 はたまた、臆病であり、引っ込み思案であり、小心者であり・・・

 傷つきたくなくて、恥をかきたくなくて、かっこわるい自分は隠したくて・・・

 そうこうしながら、自分が見つけてきた暮らし方なのだなあ。

 なんだかね、型があると、楽なんだけど、緊張するし、結局、それていっちゃうんだ。

 こうしちゃいけない、とか、こうすべきって、すごく不自由なんだ・・・。

 自分なんてなくてさ、ふわふわしてるの。

 で、相手にぶつかっていって、初めて、自分っていうのが浮かび上がってきて、自分が自分でよくわからないから、相手に見つけてもらっている気がする。

 教育も、人間関係も。

 だから、誰とでも仲良くできるわけではなくて、私がリラックスできて、ふわふわできて、「こうあるべき」と感じたり、肩肘はらなくてもいい人の前では、自然と自由になれて、すごく楽チン。

 そして、自分からも、どんどん自分が好きな自分が出てきて、いい感じ。

 逆に、緊張しちゃうと、自分のきらいな気恥ずかしい自分がいっぱい出てきて、もう、穴があったら入りたいようになってしまうのだ。

 なんだかな~。

 でも、やっぱり、社会では、「こうあるべき」「こうあってほしい」というのに、答えないといけない状況も出てくるわけで・・・

 ああ!気恥ずかしい><と、消え入りたくなりながら過ごすこともあるのです・・・。


 教室では、もう、だいぶ、気恥ずかしさはなくなってきたかな。ふにゃふにゃしてきた。子どももふにゃふにゃしてきたから。

 戯れるっていう言葉が好き。

 今日も、いっぱい戯れました。私は、子どもと遊ぶより、戯れるのが好きだな。うん。

 明日で一週間もオシマイだ!最近夜型・・・ちょっと、変えて行きたいわ~><
 

ちょっとほっこり・・・つれづれ6-2


 朝の教室。一日は、朝読書で始まる。

 最近、本当にみんなよく本を読む。私は、人が本を読む姿がとても好きなので、1人であやしげにニマニマしてしまう。自分が買ってきた本を読んでいる姿もうれしいし、子ども達が、自分で買ってもらったらしき本を読んでいるのもうれしい。

 あまりに熱心に集中して読んでいるので、チャイムが鳴って、「はい、じゃああいさつしよか~」というのを毎日ためらってしまう自分がいる。読書をさえぎるのって、すごく罪な気がするし、もっと読みたいっていう気持ちが伝わるから・・・。まあ、でもそんなこと言ってられない。

 男子は、ミステリー、雑学、伝記、ファンタジーが多し。
 
 女子は、ほとんど全員ケータイ小説。次から次へと新しい本を買って、友達同士でまわし読みしている。

 授業の中でも、プリントが早く終わったりする合間の時間や待ち時間があれば、即座に本を開いて読み始める。すごいのめりこみようなのである。

 昨日は、ある女の子が、「先生、これかしたげる~」と、「恋空」を。今日は、「はい、先生、これ、絶対ページ折り曲げたらあかんで」と、「ひぐらしの泣く頃」というマンガを。

 ふ~ん、と思いながら、どちらもちょっとずつ読んでみることに。

 人から、本を貸されるのも、人に本を借りるのも、なんか、いいのよね~。思いがつまっているものだから、その子の心を受け取ることができる気がする。

 直接的なことは苦手だから。媒介に、本やテレビや、映画があるって、いいな、と思う。思い出や、記憶や、遊びがあるっていいとおもう。

 

 クラスでやんちゃ君たちに手をやいている。私も、子ども達も。

 ある女の子が、「もし、悪いことをしたら、女子と遊ぶっていうルールにしたら?」と提案する。

 おお、それいいね。

 なぜなら、女子にかこまれているときの男子は、なんだか、素直で、茶目っ気があって、子ども子どもしていて、かわいらしいのだ。集団の中ではいえない女子も、少人数の男子になら、はっきり物が言える。お姉さま方に囲まれて、男子も、従わざるを得ない感じ。

 うん、うまくいく、そんな気がして、取り組みを始める。

 そうすると、女子が元気になる。男子は、みはられ、たじたじ。

 昨日の結果が、×だったので、今日は、昼休みは該当の男子は女子と遊ぶことに。

 女の子たちに囲まれ、2人は「けった」を、2人は「サッカー」をして遊んでいた。

 男の子も、照れくさそうにしながらも、楽しく遊んでいるし、何より、女子が楽しそうだ。

 ああ、男子と遊びたいんだよな、と思う。

 女の子が元気な社会は、いい社会だって、「もののけ姫」の中で言ってて、すごく納得した。

 そうそう。女が元気でなきゃあ!

 真面目で、一生けん命で、弱い立場の人が損したり、悲しんだりするような社会には絶対したくない。

 学校という小さな社会で、そんな社会にしないために、どう取り組んでいけばいいか、どんな姿勢を示すべきか、体験するべきだと思う。

 ひとつにできることは、わたしがそうした弱者を苦しめる振る舞いを徹底して許さないこと。

 そして、次にできることは、そうした態度を示せるようにしてやること。

 更にできることは、弱者を苦しめる側の人間と手をとりあって、みんなが気持ちよく暮らせるようにするには、どうすればいいかを考え、取り組んでいくこと。

 すごく難しいのだけれど、何か、突破口が見えるような気もする、最近、やっと。

 


 「めっちゃ汗かいた~」「最初は、いややな~って思ったけど、楽しかった~」と、男子とサッカーをしていた女子が言う。私も得点を決めて、20-1で快勝!(女子が決めたら10点というルール)。

 「男子、いややとか言いながら、真剣に隠れてはった~」「でも、素直に楽しかったって言わはらへんねんで~」 一緒にけったをしていたお姉さま達が笑顔で報告してくれる。

 放課後は、教室で、女の子と男の子が、力いっぱいつかみあいで、ケンカをしている。もちろん、笑顔で。ほほえましいなあ!女子が、男子の頭をぼかんとなぐっているくらいが元気でいいわ。

 私の小学校時代は、といえば、男子と女子は仲が悪かったな~。中学に行って、他の小学校が男女仲がいいのにびっくり、うらやましかった!!

 まあ、いろいろ問題はあるけれど、何か問題が起これば、男子も女子も一緒になって解決していけるような、そして、一緒に遊んだり、笑ったりできるような仲を大事にしていければいいや。

 2学期ラストにお楽しみ会ができるように・・・がんばってくれい、6年2組諸君。
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